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荘子 / 徐無鬼

齧缺遇許由,曰:「子將奚之?」曰:「將逃堯。」曰:「奚謂邪?」曰:「夫堯,畜畜然仁,吾恐其為天下笑。後世其人與人相食與!夫民不難聚也,愛之則親,利之則至,譽之則勸,致其所惡則散。愛利出乎仁義,捐仁義者寡,利仁義者眾。夫仁義之行,唯且無誠,且假乎禽貪者器。是以一人之斷制利天下,譬之猶一覕也。夫堯知賢人之利天下也,而不知其賊天下也,夫唯外乎賢者知之矣。」

新字:齧欠遇許由,曰:「子将奚之?」曰:「将逃堯。」曰:「奚謂邪?」曰:「夫堯,畜畜然仁,吾恐其為天下笑。後世其人与人相食与!夫民不難聚也,愛之則親,利之則至,誉之則勧,致其所悪則散。愛利出乎仁義,捐仁義者寡,利仁義者眾。夫仁義之行,唯且無誠,且仮乎禽貪者器。是以一人之断制利天下,譬之猶一覕也。夫堯知賢人之利天下也,而不知其賊天下也,夫唯外乎賢者知之矣。」

書き下し

齧缺(げっけつ)許由に遇いて曰く、「子は将に奚(いず)くにか之かんとするか」と。曰く、「将に堯を逃れんとす」と。曰く、「奚の謂いぞや」と。曰く、「夫れ堯は、畜畜然(ちくちくぜん)として仁なり。吾は其の天下の笑いと為らんことを恐る。後世、其れ人と人と相食まんか。夫れ民は聚(あつ)むるに難からざるなり。之を愛すれば則ち親しみ、之を利すれば則ち至り、之を誉むれば則ち勧み、其の悪む所を致せば則ち散ず。愛利は仁義より出づ。仁義を捐(す)つる者は寡(すく)なく、仁義を利とする者は衆(おお)し。夫れ仁義の行は、唯だ且つ誠無く、且つ禽貪(きんたん)なる者の器を假(か)る。是を以て一人の断制、天下を利するは、之を譬うれば猶お一覕(いっぺつ)のごとし。夫れ堯は賢人の天下を利するを知りて、其の天下を賊するを知らず。夫れ唯だ賢を外にする者のみ之を知れり」と。

現代語訳

齧缺が許由に会って言った。「あなたはどこへ行かれるのですか」。「堯から逃げるところだ」。「どういうことですか」。許由は言った。「堯は、こせこせと仁を行っている。私は彼が天下の笑い者になるのを恐れるのだ。後の世には、人が人を食い合うようになるだろう。民を集めるのは難しくない。愛せば親しみ、利を与えれば集まり、褒めれば励み、嫌がることをすれば散っていく。愛や利は、仁義から出てくる。仁義を捨てる者は少なく、仁義を利用する者は多い。仁義の実践は、誠実さを欠いたまま、獣のように貪欲な者の道具として使われる。だから一人の裁断で天下を利しようとするのは、ちらりと一瞥するようなものだ。堯は、賢者が天下を利することは知っているが、それが天下を害することを知らない。ただ、賢者を外に置く者だけが、それを知っている」と。

解説

「仁義を捨てる者は少なく、仁義を利用する者は多い」。この指摘が痛烈な一段です。仁義そのものは正しい。だからこそ、それを利用する者が現れます。正しい旗を掲げれば、人は集まる。その旗を、貪欲な者が使う。愛と利で人を集められると分かった瞬間、それは操作の技術になります。堯は善意でそれを始めましたが、後の世には人が人を食い合うようになる、と許由は予言します。正しさを制度化することの、最も深い危険がここにあります。

この一句を、あなたの毎日に。

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