荘子 / 徐無鬼
無幾何而使梱之於燕,盜得之於道,全而鬻之則難,不若刖之則易,於是乎刖而鬻之於齊,適當渠公之街,然身食肉而終。
新字:無幾何而使梱之於燕,盗得之於道,全而鬻之則難,不若刖之則易,於是乎刖而鬻之於斉,適当渠公之街,然身食肉而終。
書き下し
幾何(いくばく)も無くして梱をして燕に之かしむ。盗之を道に得たり。全くして之を鬻(ひさ)ぐは則ち難し。之を刖(あしき)るに若(し)かず、則ち易し。是に於いてか刖して之を斉に鬻ぎ、適(たまた)ま渠公(きょこう)の街に当たる。然も身は肉を食らいて終わる。
現代語訳
いくらもたたないうちに、梱を燕へ使いにやった。盗賊が道中で彼を捕らえた。五体満足なまま売るのは難しい。足を切ってしまえば売りやすい。そこで足を切り落として斉に売り飛ばした。たまたま渠公の門番の職に当たった。そして彼は生涯、肉を食べて過ごしたのだった。
解説
予言が、最悪の形で的中する一段です。「国君と食事を共にして生涯を終える」。確かにその通りになりました。ただし、足を切られて門番として売られ、主人の残り肉を食べる身としてです。予言は嘘ではありませんでした。しかし、まったく違う形で実現した。ここには、言葉の恐ろしさがあります。同じ言葉が、まるで違う中身を持ちうる。「国君と食を共にする」という一句が、栄達にも奴隷にもなる。父の涙は、正しかったのです。
この章句が説くこと
刖而鬻之予言の的中言葉の恐ろしさ同じ言葉の別の中身
関連する章句
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