荘子 / 徐無鬼
狗不以善吠為良,人不以善言為賢,而況為大乎!夫為大不足以為大,而況為德乎!夫大備矣,莫若天地;然奚求焉,而大備矣。知大備者,無求、無失、無棄,不以物易己也。反己而不窮,循古而不摩,大人之誠。
新字:狗不以善吠為良,人不以善言為賢,而況為大乎!夫為大不足以為大,而況為徳乎!夫大備矣,莫若天地;然奚求焉,而大備矣。知大備者,無求、無失、無棄,不以物易己也。反己而不窮,循古而不摩,大人之誠。
書き下し
狗(いぬ)は善く吠ゆるを以て良と為さず。人は善く言うを以て賢と為さず。而るを況んや大を為すをや。夫れ大を為すも以て大と為すに足らず。而るを況んや徳を為すをや。夫れ大備(たいび)なるは、天地に若(し)くは莫し。然れども奚(なに)をか求めんや、而も大備なり。大備を知る者は、求むる無く、失う無く、棄つる無く、物を以て己を易(か)えざるなり。己に反りて窮まらず、古に循(したが)いて摩(す)れず。大人の誠なり。
現代語訳
犬は、よく吠えるからといって良い犬とはされない。人は、よく喋るからといって賢者とはされない。まして、大きなことを成そうとするなら、なおさらだ。大きなことを成しても、それで大きいとは言えない。まして徳を成そうとするなら、なおさらだ。完全に備わっているものといえば、天地に及ぶものはない。しかし天地は何かを求めているだろうか。求めていないのに、完全に備わっている。完全に備わることを知る者は、求めず、失わず、捨てず、外の物によって自分を変えない。自分に立ち返って行き詰まらず、古きに従いながら擦り減らない。これが大いなる人の誠実さである。
解説
「犬はよく吠えるからといって良い犬とはされない。人はよく喋るからといって賢者とはされない」。この一句が身に沁みる一段です。声の大きさと、内容の価値は無関係です。よく吠える犬は、番犬として役立つように見えて、実はただうるさいだけかもしれません。そして「天地は何かを求めているだろうか。求めていないのに、完全に備わっている」。求めないから、備わっている。求めるということは、足りないと思っているということです。求めなくなった時、初めて満ちるのです。
この章句が説くこと
狗不以善吠為良声の大きさと価値求めずして大備満ちる誠
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