荘子 / 徐無鬼
彼之謂不道之道,此之謂不言之辯。故德總乎道之所一,而言休乎知之所不知,至矣。道之所一者,德不能同也;知之所不能知者,辯不能舉也。名若儒、墨而凶矣。故海不辭東流,大之至也。聖人并包天地,澤及天下,而不知其誰氏。是故生無爵,死無諡,實不聚,名不立,此之謂大人。
新字:彼之謂不道之道,此之謂不言之弁。故徳総乎道之所一,而言休乎知之所不知,至矣。道之所一者,徳不能同也;知之所不能知者,弁不能舉也。名若儒、墨而凶矣。故海不辞東流,大之至也。聖人并包天地,沢及天下,而不知其誰氏。是故生無爵,死無諡,実不聚,名不立,此之謂大人。
書き下し
彼は之れ不道の道と謂い、此は之れ不言の辯と謂う。故に徳は道の一とする所に総べられ、而して言は知の知らざる所に休(や)む。至れり。道の一とする所の者は、徳も同じくする能わず。知の知る能わざる所の者は、辯も挙ぐる能わず。名は儒・墨の若くにして凶なり。故に海は東流を辞せず。大の至りなり。聖人は天地を并(あわ)せ包み、沢は天下に及ぶ。而も其の誰氏なるを知らず。是の故に生きては爵無く、死しては諡(おくりな)無し。実は聚(あつ)まらず、名は立たず。此を之れ大人と謂う。
現代語訳
あれを『道でない道』といい、これを『語らない弁論』という。だから徳は、道が一つにするところに束ねられ、言葉は知が知りきれないところで休む。それが極みだ。道が一つにするものを、徳ですら同じにはできない。知が知りきれないものを、弁論ですら取り上げられない。儒家や墨家のように名を立てれば、それは凶事だ。海は東へ流れてくる水を、どれ一つ拒まない。だから最も大きい。聖人は天地を包み込み、その恵みは天下に及ぶ。それでいて、誰なのか分からない。だから生きている間は爵位もなく、死んでも諡もない。実利は集まらず、名も立たない。これを『大いなる人』という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
荘子・秋水河伯曰く、「世の議者は皆な曰く、『至精は形無く、至大は囲むべからず』と。是れ情を信ずるか」と。北海の若曰く、「夫れ細より大を視る者は尽くさず、大より細を視る者は明らかならず。夫れ精は、小の微なり。垺(ふ)は、大の殷(おお)いなり。故に便を異にす。此れ勢の有る所なり。夫れ精粗なる者は、有形に期する者なり。無形なる者は、数の分かつ能わざる所なり。囲むべからざる者は、数の窮むる能わざる所なり。言論すべき者は、物の粗なり。意を以て致すべき者は、物の精なり。言の論ずる能わざる所、意の察致する能わざる所は、精粗に期せず。是の故に大人の行は、人を害するに出でざるも、仁恩を多(た)とせず。動くに利を為さざるも、門隷(もんれい)を賤しまず。貨財を争わざるも、辞譲を多とせず。事に人を惜しまざるも、力に食(は)むを多とせず、貪汚(たんお)を賤しまず。行いは俗に殊なるも、辟異(へきい)を多とせず。為すに衆に従うに在るも、佞諂(ねいてん)を賤しまず。世の爵禄も以て勧(すす)めと為すに足らず、戮恥(りくち)も以て辱と為すに足らず。是非の分と為すべからず、細大の倪(きわみ)と為すべからざるを知ればなり。聞くならく、『道人は聞こえず、至徳は得ず、大人は己無し』と。分(ぶん)を約するの至りなり」と。
-
荘子・斉物論夫れ道は未だ始めより封有らず、言は未だ始めより常有らず。是が為にして畛(しん)有り。請う其の畛を言わん。左有り、右有り、倫有り、義有り、分有り、辯有り、競有り、争有り。此を之れ八徳と謂う。六合(りくごう)の外は、聖人は存して論ぜず。六合の内は、聖人は論じて議せず。春秋経世(けいせい)、先王の志は、聖人は議して辯ぜず。故に分かつ者は、分かたざる有るなり。辯ずる者は、辯ぜざる有るなり。曰く、何ぞや。聖人は之を懐(いだ)き、衆人は之を辯じて以て相示す。故に曰く、辯ずる者は、見ざる有りと。夫れ大道は称せず、大辯は言わず、大仁は仁ならず、大廉(たいれん)は嗛(けん)ならず、大勇は忮(そこな)わず。道は昭(あき)らかにして道ならず、言は辯じて及ばず、仁は常にして成らず、廉は清くして信ならず、勇は忮いて成らず。五者は园(まる)くして方に向かうに幾(ちか)し。故に其の知らざる所に止まるを知るは、至れり。孰(たれ)か不言の辯、不道の道を知らん。若し能く知る有らば、此を之れ天府(てんぷ)と謂う。焉(これ)に注ぐも満たず、焉に酌(く)むも竭(つ)きず。而も其の由りて来たる所を知らず。此を之れ葆光(ほうこう)と謂う。故に昔者(むかし)堯舜に問いて曰く、「我宗(そう)・膾(かい)・胥敖(しょごう)を伐たんと欲す。南面して釈然(しゃくぜん)たらず。其の故は何ぞや」と。舜曰く、「夫の三子なる者は、猶お蓬艾(ほうがい)の間に存す。若(なんじ)釈然たらざるは、何ぞや。昔者十日並び出でて、万物皆照らさる。而るを況んや徳の日よりも進める者をや」と。
-
荘子・徐無鬼狗(いぬ)は善く吠ゆるを以て良と為さず。人は善く言うを以て賢と為さず。而るを況んや大を為すをや。夫れ大を為すも以て大と為すに足らず。而るを況んや徳を為すをや。夫れ大備(たいび)なるは、天地に若(し)くは莫し。然れども奚(なに)をか求めんや、而も大備なり。大備を知る者は、求むる無く、失う無く、棄つる無く、物を以て己を易(か)えざるなり。己に反りて窮まらず、古に循(したが)いて摩(す)れず。大人の誠なり。
-
荘子・徐無鬼是を以て神人は衆の至るを悪(にく)む。衆至れば則ち比(したし)まず。比まざれば則ち利ならざるなり。故に甚だ親しむ所無く、甚だ疏(うと)んずる所無し。徳を抱き和を煬(やしな)い、以て天下に順う。此を真人と謂う。蟻に於いて知を棄て、魚に於いて計を得、羊に於いて意を棄つ。目を以て目を視、耳を以て耳を聴き、心を以て心に復(かえ)る。是の若き者は、其の平らかなるや縄のごとく、其の変ずるや循(したが)う。古の真人は、天を以て之を待ち、人を以て天に入らず。
-
『長短経』品目若し夫れ意を刻まずして高く、仁義無くして修まり、功名無くして治まり、江海無くして間に、導引せずして寿からば、亡ぶること無く、有らざること無し。淡然として極まり無くして衆美之に従う。此れ天地の道、聖人の徳なる者なり」と。〕
-
荘子・知北遊且つ夫れ博(ひろ)きも之れ必ずしも知ならず、辯ずるも之れ必ずしも慧ならず。聖人は以て之を断てり。若し夫れ之を益すも益を加えず、之を損するも損を加えざる者は、聖人の保つ所なり。淵淵乎(えんえんこ)として其れ海の若く、魏魏乎(ぎぎこ)として其れ終われば則ち復た始まる。万物を運量して匱(とぼ)しからざれば、則ち君子の道は、其れ外か。万物皆な往きて焉(これ)に資(と)りて匱しからず。此れ其れ道か。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る