荘子 / 徐無鬼
仲尼之楚,楚王觴之,孫叔敖執爵而立,市南宜僚受酒而祭曰:「古之人乎!於此言已。」曰:「丘也聞不言之言矣,未之嘗言,於此乎言之。市南宜僚弄丸而兩家之難解,孫叔敖甘寢秉羽而郢人投兵。丘願有喙三尺。」
新字:仲尼之楚,楚王觴之,孫叔敖執爵而立,市南宜僚受酒而祭曰:「古之人乎!於此言已。」曰:「丘也聞不言之言矣,未之嘗言,於此乎言之。市南宜僚弄丸而両家之難解,孫叔敖甘寝秉羽而郢人投兵。丘願有喙三尺。」
書き下し
仲尼楚に之く。楚王之に觴(さかづき)す。孫叔敖爵を執りて立ち、市南宜僚酒を受けて祭りて曰く、「古の人か。此に於いて言うのみ」と。曰く、「丘や不言の言を聞けり。未だ之を嘗て言わず。此に於いてか之を言わん。市南宜僚は丸を弄びて両家の難解け、孫叔敖は甘寝して羽を秉(と)りて郢人(えいひと)兵を投ず。丘は喙(くちばし)三尺なること有らんことを願う」と。
現代語訳
孔子が楚へ行った。楚王が酒宴を開いた。孫叔敖が杯を持って立ち、市南宜僚が酒を受けて神に捧げて言った。「昔の人でしょうか。ここでこそ、語るべきです」。孔子は言った。「私は『語らない語り』というものを聞いたことがある。まだ一度も口にしたことはないが、ここで語ってみよう。市南宜僚は玉を弄んでいただけで、二つの家の争いが解けた。孫叔敖は気持ちよく眠り、羽の扇を持っていただけで、郢の人々は武器を捨てた。私も、三尺の嘴(くちばし)が欲しいものだ」と。
解説
「語らない語り」を語る、という逆説の一段です。市南宜僚は、玉を弄んでいただけで争いを解きました。孫叔敖は、眠っていただけで戦を止めました。二人とも、何も言っていません。それでも事は収まった。孔子は最後に「私も三尺の嘴が欲しい」と言います。これは自嘲でしょう。自分は言葉に頼りすぎている、と。何も言わずに事を収める人と、言葉を尽くしても届かない人。この差は、言葉の巧拙ではありません。存在の重みの差なのです。
この章句が説くこと
不言之言弄丸而難解語らずに収める存在の重み
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