荘子 / 徐無鬼
莊子曰:「射者非前期而中,謂之善射,天下皆羿也,可乎?」惠子曰:「可。」莊子曰:「天下非有公是也,而各是其所是,天下皆堯也,可乎?」惠子曰:「可。」
新字:荘子曰:「射者非前期而中,謂之善射,天下皆羿也,可乎?」恵子曰:「可。」荘子曰:「天下非有公是也,而各是其所是,天下皆堯也,可乎?」恵子曰:「可。」
書き下し
荘子曰く、「射る者、前(あらかじ)め期せずして中(あ)つるを、之を善射と謂わば、天下皆な羿なり。可ならんか」と。恵子曰く、「可なり」と。荘子曰く、「天下に公是(こうぜ)有るに非ずして、各々其の是とする所を是とせば、天下皆な堯なり。可ならんか」と。恵子曰く、「可なり」と。
現代語訳
荘子が言った。「射手が、あらかじめ的を狙わずにたまたま当てたのを『名射手』と呼ぶなら、天下じゅうが羿(名射手)ということになる。それでよいのか」。恵子は「よい」と答えた。荘子は言った。「天下に公認の正しさがないのに、めいめいが自分の正しいとすることを正しいとするなら、天下じゅうが堯(聖王)ということになる。それでよいのか」。恵子は「よい」と答えた。
解説
たまたま当たっただけの射手を名人と呼ぶなら、全員が名人だ。この皮肉から始まる一段です。そして本題は次で、公認の正しさがないなら、各自が自分の正しさを主張して、全員が聖人になってしまう。相対主義の行き着く先を、荘子自身が突いています。荘子は「万物は等しい」と説きますが、それは「何でもあり」という意味ではありません。全員が自分を正しいと言い張る状態は、むしろ最悪です。恵子が「よい」と答え続けることで、この論法の危うさが浮かび上がります。
この章句が説くこと
天下皆羿也相対主義の行き着く先人それぞれの危うさ公是
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