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荘子 / 庚桑楚

蹍市人之足,則辭以放驁,兄則以嫗,大親則已矣。故曰:至禮有不人,至義不物,至知不謀,至仁無親,至信辟金。

新字:蹍市人之足,則辞以放驁,兄則以嫗,大親則已矣。故曰:至礼有不人,至義不物,至知不謀,至仁無親,至信辟金。

書き下し

市人(しじん)の足を蹍(ふ)めば、則ち辞するに放驁(ほうごう)を以てす。兄なれば則ち嫗(う)を以てし、大親なれば則ち已(や)むのみ。故に曰く、至礼は人とせず、至義は物とせず、至知は謀らず、至仁は親しむ無く、至信は金を辟(さ)く。

現代語訳

市場で他人の足を踏めば、うっかりしていたと丁寧に詫びる。兄の足を踏めば、いたわるような声をかける。親の足を踏めば、何も言わない。だから言うのだ。至高の礼には、他人という区別がない。至高の義には、物という区別がない。至高の知は、策を巡らさない。至高の仁には、親愛の情がない。至高の信は、金銭による保証を退ける。

解説

足を踏んだ時の反応で、親しさの度合いを測るという、鮮やかな一段です。他人なら丁寧に謝る。兄なら軽く声をかける。親なら何も言わない。親しいほど、儀礼が消えるのです。だから「至高の礼には、他人という区別がない」。礼儀正しいことは、まだ距離があるということです。本当に親しい相手には、礼儀が要りません。私たちは、丁寧に接することを良いことだと思います。しかし、丁寧さが取れないことは、まだ他人だということでもあるのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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