荘子 / 庚桑楚
請嘗言移是。是以生為本,以知為師,因以乘是非;果有名實,因以己為質;使人以己為節,因以死償節。若然者,以用為知,以不用為愚,以徹為名,以窮為辱。移是,今之人也,是蜩與學鳩同於同也。
新字:請嘗言移是。是以生為本,以知為師,因以乗是非;果有名実,因以己為質;使人以己為節,因以死償節。若然者,以用為知,以不用為愚,以徹為名,以窮為辱。移是,今之人也,是蜩与学鳩同於同也。
書き下し
請う嘗みに移是を言わん。是れ生を以て本と為し、知を以て師と為し、因りて以て是非に乗ず。果たして名実有り、因りて以て己を質と為す。人をして己を以て節と為さしめ、因りて以て死を節に償う。是の若き者は、用を以て知と為し、不用を以て愚と為し、徹を以て名と為し、窮を以て辱と為す。移是は、今の人なり。是れ蜩(せみ)と学鳩と同を同じくするなり。
現代語訳
ためしに『是を移す』ことを語ってみよう。これは、生を根本とし、知恵を師とし、そこから是非の判断に乗っていくことだ。名と実があると思い込み、自分をその証しとする。人に自分を規範として仰がせ、ついには節義のために死ぬことでその代償を払う。そういう者は、役に立つことを知恵とし、役に立たないことを愚かとし、通ることを名誉とし、行き詰まることを恥とする。『是を移す』とは、今の人のことだ。これは、蝉と小鳩が同じ穴のむじなであるようなものだ。
解説
「役に立つことを知恵とし、役に立たないことを愚かとし、通ることを名誉とし、行き詰まることを恥とする」。この四つの価値判断が、私たちを縛っている、という一段です。そしてこれを「今の人」と切り捨てる。逍遥遊篇の、大鵬を笑った蝉と小鳩が、ここで再登場します。自分の物差しでしか測れない者たちです。役に立つかどうか。通るか行き詰まるか。この二軸だけで生きていると、世界は驚くほど狭くなります。
この章句が説くこと
移是以用為知四つの価値判断蜩と学鳩
関連する章句
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