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荘子 / 庚桑楚

出無本,入無竅。有實而無乎處,有長而無乎本剽,有所出而無竅者有實。有實而無乎處者,宇也;有長而無本剽者,宙也。有乎生,有乎死,有乎出,有乎入,入出而無見其形,是謂天門。天門者,無有也,萬物出乎無有。有不能以有為有,必出乎無有,而無有一無有。聖人藏乎是。

新字:出無本,入無竅。有実而無乎処,有長而無乎本剽,有所出而無竅者有実。有実而無乎処者,宇也;有長而無本剽者,宙也。有乎生,有乎死,有乎出,有乎入,入出而無見其形,是謂天門。天門者,無有也,万物出乎無有。有不能以有為有,必出乎無有,而無有一無有。聖人蔵乎是。

書き下し

出づるに本無く、入るに竅(あな)無し。実有りて処る無く、長有りて本剽(ほんぴょう)無し。出づる所有りて竅無き者は実有り。実有りて処る無き者は、宇なり。長有りて本剽無き者は、宙なり。生有り、死有り、出づる有り、入る有り。入出して其の形を見る無し。是を天門と謂う。天門なる者は、無有なり。万物は無有より出づ。有は有を以て有と為す能わず。必ず無有より出づ。而して無有は一に無有なり。聖人は是に蔵る。

現代語訳

出てくるのに根本がなく、入っていくのに穴がない。実体はあるのに、居場所がない。長さはあるのに、始まりも終わりもない。出てくる場所があるのに穴がないものには、実体がある。実体があるのに居場所がないもの、それが『宇(空間)』である。長さがあるのに始まりも終わりもないもの、それが『宙(時間)』である。生があり、死があり、出ることがあり、入ることがある。出入りしているのに、その姿は見えない。これを『天の門』という。天の門とは、存在しないということだ。万物は、存在しないところから出てくる。存在するものが、存在するものを生み出すことはできない。必ず、存在しないところから出てくる。そして存在しないものは、一つに存在しないだけだ。聖人はそこに身を隠している。

解説

「宇」と「宙」の定義が示される、有名な一段です。実体はあるが居場所がないのが空間、長さはあるが始まりも終わりもないのが時間。この定義の切れ味は見事です。そして「存在するものが、存在するものを生み出すことはできない。必ず存在しないところから出てくる」。何もないところからしか、新しいものは生まれない。すでにあるものを組み合わせても、それは既存の延長です。本当に新しいものは、空白から出てきます。だからこそ、空白を恐れないこと。埋め尽くされた場所には、何も生まれません。

この一句を、あなたの毎日に。

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