荘子 / 庚桑楚
南榮趎蹴然正坐曰:「若趎之年者已長矣,將惡乎託業以及此言邪?」庚桑子曰:「全汝形,抱汝生,無使汝思慮營營。若此三年,則可以及此言矣。」南榮趎曰:「目之與形,吾不知其異也,而盲者不能自見;耳之與形,吾不知其異也,而聾者不能自聞;心之與形,吾不知其異也,而狂者不能自得。形之與形亦辟矣,而物或閒之邪,欲相求而不能相得?今謂趎曰:『全汝形,抱汝生,勿使汝思慮營營。』趎勉聞道達耳矣。」庚桑子曰:「辭盡矣。曰:『奔蜂不能化藿蠋,越雞不能伏鵠卵,魯雞固能矣。』雞之與雞,其德非不同也,有能有不能者,其才固有巨小也。今吾才小,不足以化子,子胡不南見老子?」
新字:南栄趎蹴然正坐曰:「若趎之年者已長矣,将悪乎託業以及此言邪?」庚桑子曰:「全汝形,抱汝生,無使汝思慮営営。若此三年,則可以及此言矣。」南栄趎曰:「目之与形,吾不知其異也,而盲者不能自見;耳之与形,吾不知其異也,而聾者不能自聞;心之与形,吾不知其異也,而狂者不能自得。形之与形亦辟矣,而物或閒之邪,欲相求而不能相得?今謂趎曰:『全汝形,抱汝生,勿使汝思慮営営。』趎勉聞道達耳矣。」庚桑子曰:「辞尽矣。曰:『奔蜂不能化藿蠋,越雞不能伏鵠卵,魯雞固能矣。』雞之与雞,其徳非不同也,有能有不能者,其才固有巨小也。今吾才小,不足以化子,子胡不南見老子?」
書き下し
南栄趎(なんえいちゅう)蹴然(しゅくぜん)として正坐して曰く、「趎の年の若き者は已に長ぜり。将に悪(いず)くにか業を託して以て此の言に及ばんか」と。庚桑子曰く、「汝の形を全うし、汝の生を抱き、汝の思慮をして営営たらしむる無かれ。此の若くすること三年ならば、則ち以て此の言に及ぶべし」と。南栄趎曰く、「目の形に与(お)けるや、吾は其の異なるを知らず。而も盲者は自ら見る能わず。耳の形に与けるや、吾は其の異なるを知らず。而も聾者は自ら聞く能わず。心の形に与けるや、吾は其の異なるを知らず。而も狂者は自ら得る能わず。形と形とは亦た辟(たと)えらるるも、物或いは之を間(へだ)つるか。相求めんと欲して相得る能わざるか。今趎に謂いて曰く、『汝の形を全うし、汝の生を抱き、汝の思慮をして営営たらしむる勿かれ』と。趎は勉めて道を聞くも耳に達するのみ」と。庚桑子曰く、「辞は尽きたり。曰く、『奔蜂(ほんぽう)は藿蠋(かくしょく)を化する能わず。越鶏(えっけい)は鵠卵(こくらん)を伏する能わず。魯鶏は固より能くす』と。鶏と鶏と、其の徳は同じからざるに非ず。能有り能わざる有るは、其の才に固より巨小有ればなり。今吾が才は小にして、以て子を化するに足らず。子は胡(なん)ぞ南のかた老子に見えざる」と。
現代語訳
南栄趎ははっとして姿勢を正して言った。「私のような年齢の者は、もう年を取りすぎています。どこに身を託して修行すれば、そのお言葉に到達できるでしょうか」。庚桑子は言った。「お前の体を全うし、お前の生を抱きしめ、お前の思慮をあくせく走り回らせないことだ。こうして三年たてば、その言葉に到達できる」。南栄趎は言った。「目と体とは、どこが違うのか私には分かりません。それでも盲人は自分で見ることができない。耳と体も、どこが違うのか分かりません。それでも聾者は自分で聞くことができない。心と体も、どこが違うのか分かりません。それでも狂人は自分を取り戻せない。体と体は同じもののはずなのに、何かがそれを隔てているのでしょうか。求め合っても、得られないのでしょうか。今、私に『体を全うし、生を抱き、思慮をあくせくさせるな』とおっしゃいましたが、私は努めて道を聞いても、耳に届くだけなのです」。庚桑子は言った。「私の言葉は尽きた。こう言われている。『小さな蜂は大きな青虫を育てられない。越の鶏は白鳥の卵を孵せない。魯の鶏なら孵せる』と。鶏と鶏で、備わった徳が違うわけではない。できるものとできないものがあるのは、もともと器の大小があるからだ。今、私の器は小さく、お前を導くには足りない。南へ行って老子に会ってみてはどうか」と。