荘子 / 知北遊
弇堈弔聞之,曰:「夫體道者,天下之君子所繫焉。今於道,秋豪之端,萬分未得處一焉,而猶知藏其狂言而死,又況夫體道者乎!視之無形,聽之無聲,於人之論者,謂之冥冥,所以論道,而非道也。」
新字:弇堈弔聞之,曰:「夫体道者,天下之君子所繋焉。今於道,秋豪之端,万分未得処一焉,而猶知蔵其狂言而死,又況夫体道者乎!視之無形,聴之無声,於人之論者,謂之冥冥,所以論道,而非道也。」
書き下し
弇堈弔(えんこうちょう)之を聞きて曰く、「夫れ道を体する者は、天下の君子の繋がる所なり。今、道に於けるは、秋豪の端、万分にして未だ一を処(お)くを得ず。而も猶お其の狂言を蔵して死するを知る。又た況んや夫の道を体する者をや。之を視るも形無く、之を聴くも声無し。人の論ずる者に於けるは、之を冥冥と謂う。道を論ずる所以にして、道に非ざるなり」と。
現代語訳
弇堈弔がこれを聞いて言った。「道を体現している人は、天下の君子たちが心を寄せるところだ。今、道について言えば、獣毛の先の万分の一すら、まだ捉えられていない。それでもなお、その狂った言葉を胸にしまったまま死ぬことを知っている。まして、道を体現している人ならなおさらだ。見ようとしても形がなく、聴こうとしても音がない。人が議論する時、それを『冥冥』と呼ぶ。それは道を論じる手段であって、道そのものではない」と。
解説
道を論じることと、道そのものは違う。この区別を、繰り返し念押しする一段です。「冥冥」という言葉すら、道そのものではなく、道を論じるための道具にすぎません。名前をつけた瞬間に、それは道具になる。私たちも、大事なことに名前をつけて、分かった気になります。しかし名前は指し示すだけで、そのものではありません。地図は土地ではない。メニューは料理ではない。言葉と、それが指すものを取り違えると、永遠にたどり着けません。
この章句が説くこと
所以論道而非道也名前は道具地図は土地ではない言葉と対象無為理念
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