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荘子 / 知北遊

婀荷甘與神農同學於老龍吉。神農隱几闔戶晝瞑,婀荷甘日中奓戶而入,曰:「老龍死矣!」神農隱几擁杖而起,嚗然放杖而笑,曰:「天知予僻陋慢訑,故棄予而死。已矣!夫子無所發予之狂言而死矣夫!」

新字:婀荷甘与神農同學於老竜吉。神農隠几闔戶昼瞑,婀荷甘日中奓戶而入,曰:「老竜死矣!」神農隠几擁杖而起,嚗然放杖而笑,曰:「天知予僻陋慢訑,故棄予而死。已矣!夫子無所発予之狂言而死矣夫!」

書き下し

婀荷甘(あかかん)と神農と老龍吉(ろうりょうきつ)に同学す。神農は几に隠りて戸を闔(と)じ昼瞑(ひるね)す。婀荷甘は日中に戸を奓(ひら)きて入りて曰く、「老龍死せり」と。神農は几に隠り杖を擁して起ち、嚗然(はくぜん)として杖を放ちて笑いて曰く、「天は予の僻陋(へきろう)慢訑(まんい)なるを知る。故に予を棄てて死せり。已(や)んぬるかな。夫子は予の狂言を発する所無くして死せるかな」と。

現代語訳

婀荷甘と神農が、老龍吉のもとで共に学んでいた。神農は肘掛けに寄りかかり、戸を閉めて昼寝をしていた。婀荷甘が真昼に戸を開けて入ってきて言った。「老龍先生が亡くなった」。神農は肘掛けに寄りかかったまま杖を掴んで立ち上がり、はっとして杖を放り出し、笑って言った。「天は、私が偏屈で怠慢な人間だとご存じだった。だから先生は私を見捨てて逝かれたのだ。仕方がない。先生は、私の狂った言葉を引き出してくださらないまま、逝ってしまわれた」と。

解説

師の死を聞いた弟子が、笑い出すという一段です。しかし嘲笑ではありません。「先生は、私の狂った言葉を引き出してくださらないまま、逝ってしまわれた」。この嘆きが本心です。彼が師に望んでいたのは、正しい答えではなく、自分の中から狂った言葉を引き出してもらうことでした。教えるとは、答えを与えることではなく、その人の中から何かを引き出すことです。それが果たされないまま、師は逝った。この悔いは、深く切実です。

この一句を、あなたの毎日に。

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