荘子 / 知北遊
孔子問於老聃曰:「今日晏閒,敢問至道。」
書き下し
孔子老聃に問いて曰く、「今日晏閒(あんかん)なり。敢えて至道を問う」と。
現代語訳
孔子が老聃に尋ねた。「今日は静かで落ち着いています。どうか至高の道についてお聞かせください」。
解説
たった一行の導入です。しかし「今日は静かで落ち着いています」という前置きが効いています。至高の道を聞くには、静けさが要る。忙しい合間に聞ける話ではない、と孔子は分かっているのです。私たちは、大事なことを慌ただしい合間に済ませようとします。しかし、器が騒がしければ、注がれたものは溢れてしまいます。聞く準備が整っていること。それ自体が、聞くための第一条件なのです。
この章句が説くこと
今日晏閒聞く準備静けさが要る器を整える
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