荘子 / 知北遊
狂屈聞之,以黃帝為知言。
新字:狂屈聞之,以黄帝為知言。
書き下し
狂屈之を聞き、黄帝を以て知言と為す。
現代語訳
狂屈はこれを聞いて、黄帝の言葉こそが真に知る者の言葉だとした。
解説
たった一行の一段です。黄帝は「自分は最も遠い」と認めました。それを聞いた狂屈は、その言葉こそが本物だと言う。自分の限界を正直に認めた言葉が、最も真実に近い。皮肉なようですが、筋が通っています。知らないことを知っていると言う人より、知っていることを「まだ遠い」と言う人のほうが、確かに深い。自分がどこにいるかを正確に知っていることが、最も難しく、最も価値があるのです。
この章句が説くこと
以黄帝為知言限界を認める自分の位置を知る正直さの深さ謙虚
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