荘子 / 田子方
孔子曰:「何謂邪?」曰:「心困焉而不能知,口辟焉而不能言,嘗為汝議乎其將。至陰肅肅,至陽赫赫;肅肅出乎天,赫赫發乎地;兩者交通成和而物生焉,或為之紀而莫見其形。消息滿虛,一晦一明,日改月化,日有所為,而莫見其功。生有所乎萌,死有所乎歸,始終相反乎無端,而莫知其所窮。非是也,且孰為之宗!」
新字:孔子曰:「何謂邪?」曰:「心困焉而不能知,口辟焉而不能言,嘗為汝議乎其将。至陰粛粛,至陽赫赫;粛粛出乎天,赫赫発乎地;両者交通成和而物生焉,或為之紀而莫見其形。消息満虚,一晦一明,日改月化,日有所為,而莫見其功。生有所乎萌,死有所乎帰,始終相反乎無端,而莫知其所窮。非是也,且孰為之宗!」
書き下し
孔子曰く、「何の謂いぞや」と。曰く、「心は焉(ここ)に困(くる)しみて知る能わず、口は焉に辟(へき)して言う能わず。嘗みに汝の為に其の将(ほぼ)を議せん。至陰は粛粛(しゅくしゅく)たり、至陽は赫赫(かくかく)たり。粛粛は天より出で、赫赫は地より発す。両者交通して和を成して物焉に生ず。或いは之が紀(き)を為すも、而も其の形を見る莫し。消息満虚(しょうそくまんきょ)し、一たびは晦(くら)く一たびは明らかなり。日に改まり月に化す。日に為す所有るも、而も其の功を見る莫し。生は萌(きざ)す所有り、死は帰する所有り。始終は相反して端(はし)無し。而も其の窮まる所を知る莫し。是に非ざれば、且つ孰(たれ)か之が宗を為さん」と。
現代語訳
孔子は「どういうことですか」と尋ねた。老聃は言った。「心はそこで行き詰まって知ることができず、口は塞がって語ることができない。それでも、ためしにおおよそを語ってみよう。極まった陰は、しんしんと冷たい。極まった陽は、かっかと熱い。しんしんとした冷たさは天から出て、かっかとした熱さは地から発する。両者が行き交って調和をなし、そこから物が生まれる。何かがその筋道を作っているのだが、その姿は見えない。消えたり生じたり、満ちたり虚しくなったり、暗くなったり明るくなったりする。日ごとに改まり、月ごとに変わる。毎日何かがなされているのに、その手柄は見えない。生には芽生えるところがあり、死には帰るところがある。始まりと終わりは互いに向き合って、端がない。その果ても分からない。もしこれでないなら、いったい誰がその根源だというのか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荘子・則陽少知曰く、「四方の内、六合の裏、万物の生ずる所は悪(いず)くにか起こる」と。太公調曰く、「陰陽相照らし、相蓋(おお)い、相治む。四時相代わり、相生じ、相殺す。欲悪去就(よくおきょしゅう)是に於いて橋起(きょうき)す。雌雄片合(へんごう)是に於いて庸(つね)に有り。安危相易(あいか)わり、禍福相生じ、緩急相摩(あいま)し、聚散以て成る。此れ名実の紀すべく、精微の志(しる)すべきなり。序に随いて之れ相理(あいり)し、橋運(きょううん)して之れ相使す。窮まれば則ち反り、終われば則ち始まる。此れ物の有する所、言の尽くす所、知の至る所にして、物を極むるのみ。道を覩(み)るの人は、其の廃する所に随わず、其の起こる所に原(もと)づかず。此れ議の止まる所なり」と。
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荘子・則陽少知曰く、「季真(きしん)の莫為(ばくい)、接子(せっし)の或使(わくし)、二家の議、孰(いず)れか其の情に正しく、孰れか其の理に偏なるか」と。太公調曰く、「鶏鳴き狗吠ゆ。是れ人の知る所なり。大知有りと雖も、言を以て其の自ら化する所を読む能わず。又た意を以て其の将に為さんとする所を能くせず。斯(これ)を析(さ)けば、精は無倫に至り、大は囲むべからざるに至る。或いは之を使(し)め、莫(な)くも之を為すも、未だ物を免れずして終に以て過ちと為す。或使は則ち実、莫為は則ち虚なり。名有り実有るは、是れ物の居なり。名無く実無きは、物の虚に在り。言うべく意すべきも、言いて愈(いよい)よ疏(うと)し。未だ生ぜざるは忌(とど)むべからず、已に死せるは阻むべからず。死生は遠からざるなり。理は覩(み)るべからず。或いは之を使め、莫くも之を為すは、疑いの假(か)る所なり。吾之が本を観るに、其の往くこと窮まり無し。吾之が末を求むるに、其の来たること止まる無し。窮まり無く止まる無きは、之を言うに無なり。物と理を同じくす。或使・莫為は、之を言うに本なり。物と終始す。道は有るべからず、有は無かるべからず。道の名為(た)るは、假る所にして行わる。或使・莫為は、物の一曲に在り。夫れ胡(なん)ぞ大方に為さんや。言いて足らば、則ち終日言いて道を尽くさん。言いて足らずんば、則ち終日言いて物を尽くさん。道・物の極は、言・黙も以て載するに足らず。非言非黙にして、議は其れ極まる有り」と。
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荘子・田子方仲尼曰く、「悪(ああ)、察せざるべけんや。夫れ哀は心の死するより大なるは莫く、而して人の死は亦た之に次ぐ。日は東方に出でて西極に入る。万物は方(ほう)を比(なら)べざる莫し。目有り趾(あし)有る者は、是を待ちて而る後に功を成し、昼を待ちて作(な)す。是れ出づれば則ち存し、是れ入れば則ち亡ず。万物も亦た然り。待つ有りて死し、待つ有りて生ず。吾一たび其の成形を受け、而して化せずして以て尽くるを待つ。物に效(なら)いて動き、日夜隙(すきま)無し。而も其の終わる所を知らず。薫然(くんぜん)として其れ形を成す。命を知るも其の前を規(はか)ること能わず。丘は是を以て日に徂(ゆ)く。吾終身汝と一臂(いっぴ)を交えて之を失う。哀しからざるべけんや。女(なんじ)は殆(ほとん)ど吾の著(あら)わす所以を著わさんとす。彼は已に尽きたり。而るに女は之を求めて以て有りと為す。是れ馬を唐肆(とうし)に求むるなり。吾の女に服するや甚だ忘る。女の吾に服するや亦た甚だ忘る。然りと雖も、女奚(なん)ぞ焉(これ)を患えんや。故(もと)の吾を忘ると雖も、吾に忘れざる者存する有り」と。
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荘子・田子方孔子曰く、「夫子の徳は天地に配す。而も猶お至言を假(か)りて以て心を修む。古の君子、孰か能く焉(これ)を脱せんや」と。老聃曰く、「然らず。夫れ水の汋(わ)くに於けるや、無為にして才(はたらき)自ら然り。至人の徳に於けるや、修めずして物離るる能わず。天の自ら高く、地の自ら厚く、日月の自ら明らかなるが若し。夫れ何をか修めんや」と。
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荘子・天地泰初(たいしょ)に無有り。有無く名無し。一の起こる所、一有りて未だ形あらず。物得て以て生ず、之を徳と謂う。未だ形あらざる者に分有り、且つ然も間無し、之を命と謂う。留動して物を生じ、物成りて理を生ず、之を形と謂う。形体は神を保ち、各々儀則有り、之を性と謂う。性を修めて徳に反り、徳至れば初めに同じ。同じければ乃ち虚、虚なれば乃ち大なり。喙鳴(かいめい)に合し、喙鳴合して、天地と合を為す。其の合するや緡緡(びんびん)として、愚なるが若く昏(くら)きが若し。是を玄徳(げんとく)と謂う。大順に同じ。
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荘子・田子方孔子老聃に見ゆ。老聃新たに沐(もく)し、方(まさ)に将に髪を被(こうむ)りて乾かさんとす。慹然(ちつぜん)として人に非ざるに似たり。孔子便(しりぞ)きて之を待つ。少(しばら)くして見えて曰く、「丘や眩(げん)せるか。其れ信(まこと)に然るか。向(さき)に先生の形体は掘若(くつじゃく)として槁木のごとし。物を遺(わす)れ人を離れて独りに立つに似たり」と。老聃曰く、「吾は心を物の初めに遊ばしむ」と。
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