荘子 / 田子方
仲尼曰:「惡!可不察與!夫哀莫大於心死,而人死亦次之。日出東方而入於西極,萬物莫不比方。有目有趾者,待是而後成功,待晝而作。是出則存,是入則亡。萬物亦然,有待也而死,有待也而生。吾一受其成形,而不化以待盡,效物而動,日夜無隙,而不知其所終,薰然其成形,知命不能規乎其前,丘以是日徂。吾終身與汝交一臂而失之,可不哀與!女殆著乎吾所以著也。彼已盡矣,而女求之以為有,是求馬於唐肆也。吾服女也甚忘,女服吾也亦甚忘。雖然,女奚患焉!雖忘乎故吾,吾有不忘者存。」
新字:仲尼曰:「悪!可不察与!夫哀莫大於心死,而人死亦次之。日出東方而入於西極,万物莫不比方。有目有趾者,待是而後成功,待昼而作。是出則存,是入則亡。万物亦然,有待也而死,有待也而生。吾一受其成形,而不化以待尽,効物而動,日夜無隙,而不知其所終,薫然其成形,知命不能規乎其前,丘以是日徂。吾終身与汝交一臂而失之,可不哀与!女殆著乎吾所以著也。彼已尽矣,而女求之以為有,是求馬於唐肆也。吾服女也甚忘,女服吾也亦甚忘。雖然,女奚患焉!雖忘乎故吾,吾有不忘者存。」
書き下し
仲尼曰く、「悪(ああ)、察せざるべけんや。夫れ哀は心の死するより大なるは莫く、而して人の死は亦た之に次ぐ。日は東方に出でて西極に入る。万物は方(ほう)を比(なら)べざる莫し。目有り趾(あし)有る者は、是を待ちて而る後に功を成し、昼を待ちて作(な)す。是れ出づれば則ち存し、是れ入れば則ち亡ず。万物も亦た然り。待つ有りて死し、待つ有りて生ず。吾一たび其の成形を受け、而して化せずして以て尽くるを待つ。物に效(なら)いて動き、日夜隙(すきま)無し。而も其の終わる所を知らず。薫然(くんぜん)として其れ形を成す。命を知るも其の前を規(はか)ること能わず。丘は是を以て日に徂(ゆ)く。吾終身汝と一臂(いっぴ)を交えて之を失う。哀しからざるべけんや。女(なんじ)は殆(ほとん)ど吾の著(あら)わす所以を著わさんとす。彼は已に尽きたり。而るに女は之を求めて以て有りと為す。是れ馬を唐肆(とうし)に求むるなり。吾の女に服するや甚だ忘る。女の吾に服するや亦た甚だ忘る。然りと雖も、女奚(なん)ぞ焉(これ)を患えんや。故(もと)の吾を忘ると雖も、吾に忘れざる者存する有り」と。
現代語訳
孔子は言った。「ああ、よく見きわめねばならぬ。哀しみのうちで、心が死ぬことより大きなものはない。人が死ぬことは、その次だ。日は東から昇り、西の果てに沈む。万物はみな、それに合わせて並んでいる。目があり足がある者は、それを待って初めて働き、昼を待って動き出す。日が出れば存在し、日が沈めば消える。万物もまた同じだ。何かを待って死に、何かを待って生まれる。私はひとたびこの形を受け、変わることなく、終わりが来るのを待っている。物に応じて動き、昼も夜も休みなく動いている。それでいて、どこで終わるのかを知らない。ぼんやりと形を成しているだけだ。天命を知っても、その先を測ることはできない。私はそうやって日々を過ぎていく。私はお前と生涯ひじを並べていながら、そのお前を取り逃がしている。哀しくないだろうか。お前は、私が外に現し出したものだけを、現そうとしている。それはもう過ぎ去ってしまったものだ。それなのにお前は、それを追い求めて、まだ有ると思っている。それは、馬市が終わった後の空き地で馬を探すようなものだ。私がお前に接する時、私はすぐに忘れてしまう。お前が私に接する時も、すぐに忘れてしまう。とはいえ、何を心配することがあろう。過去の私を忘れても、私の中には忘れられないものが残っているのだから」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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