荘子 / 山木
回曰:「敢問無受天損易。」仲尼曰:「飢溺寒暑,窮桎不行,天地之行也,運物之泄也,言與之偕逝之謂也。為人臣者,不敢去之。執臣之道猶若是,而況乎所以待天乎!」
新字:回曰:「敢問無受天損易。」仲尼曰:「飢溺寒暑,窮桎不行,天地之行也,運物之泄也,言与之偕逝之謂也。為人臣者,不敢去之。執臣之道猶若是,而況乎所以待天乎!」
書き下し
回曰く、「敢えて天の損を受くる無きは易きを問う」と。仲尼曰く、「飢溺寒暑、窮桎(きゅうしつ)行われざるは、天地の行なり、運物の泄(もれ)なり。之と偕(とも)に逝(ゆ)くを言うの謂いなり。人の臣たる者は、敢えて之を去らず。臣の道を執ること猶お是(かく)の若し。而るを況んや天を待つ所以をや」と。
現代語訳
顔回は「天から与えられる損失を受け入れないでいることが易しい、とはどういうことですか」と尋ねた。孔子は言った。「飢え、溺れ、寒さ、暑さ。行き詰まって身動きが取れないこと。それらは天地の運行であり、万物が移り変わる中で漏れ出てくるものだ。それらとともに流れていく、ということだ。人の臣下たる者は、与えられた務めを勝手に捨てたりしない。臣下の道を守るのですら、そうなのだ。まして、天に対する構え方となれば、なおさらではないか」。
解説
飢えや寒さや行き詰まりは、天地の運行の一部だ、と孔子は言います。誰かが自分を狙ってやっているのではない。ただ、そういう流れがある。だから「それらとともに流れていく」だけだ、と。ここに、苦難への向き合い方があります。抗うのでも、耐え忍ぶのでもなく、一緒に流れる。臣下ですら与えられた務めを勝手に捨てないのだから、天が与えたものを拒めるはずがない。この論理は、諦めとは違います。自分の手に負えないものを、自分の責任にしないということです。
この章句が説くこと
天地之行与之偕逝苦難とともに流れる手に負えないもの
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