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荘子 / 山木

顏回端拱還目而窺之。仲尼恐其廣己而造大也,愛己而造哀也,曰:「回!無受天損易,無受人益難。無始而非卒也,人與天一也。夫今之歌者其誰乎?」

新字:顏回端拱還目而窺之。仲尼恐其広己而造大也,愛己而造哀也,曰:「回!無受天損易,無受人益難。無始而非卒也,人与天一也。夫今之歌者其誰乎?」

書き下し

顔回端拱(たんきょう)して目を還(めぐ)らして之を窺う。仲尼は其の己を広くして大を造(な)し、己を愛して哀を造さんことを恐れて、曰く、「回、天の損を受くる無きは易く、人の益を受くる無きは難し。始めとして卒に非ざるは無く、人と天とは一なり。夫れ今の歌う者は其れ誰ぞや」と。

現代語訳

顔回は姿勢を正して手を組み、目を動かして先生の様子をうかがっていた。孔子は、顔回が自分を偉大なものと思い込んで持ち上げたり、自分を慕うあまり悲しんだりすることを恐れて、こう言った。「回よ。天から与えられる損失を受け入れないでいることは易しい。しかし、人から与えられる利益を受け取らないでいることは難しい。始まりであって終わりでないものはなく、人と天とは一つなのだ。ところで、今歌っていたのは、いったい誰なのだろうか」。

解説

困窮の中で歌う師を見つめる弟子に、孔子が語りかける一段です。孔子はまず、弟子が自分を美化したり、同情したりすることを警戒します。そして重要な一句を投げます。「天から与えられる損失を受け入れないのは易しいが、人から与えられる利益を受け取らないのは難しい」。不幸に耐えるより、好意や利益を断るほうが難しい。これは深い洞察です。苦境には耐えられる人が、甘い誘いには負ける。そして最後の問い、「今歌っていたのは、誰なのだろうか」。自分が歌っていたのか、それとも何かが歌わせていたのか。答えは与えられません。

この一句を、あなたの毎日に。

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