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荘子 / 山木

君曰:「彼其道幽遠而無人,吾誰與為鄰?吾無糧,我無食,安得而至焉?」市南子曰:「少君之費,寡君之欲,雖無糧而乃足。君其涉於江而浮於海,望之而不見其崖,愈往而不知其所窮。送君者皆自崖而反,君自此遠矣。故有人者累,見有於人者憂。故堯非有人,非見有於人也。吾願去君之累,除君之憂,而獨與道遊於大莫之國。方舟而濟於河,有虛船來觸舟,雖有惼心之人不怒;有一人在其上,則呼張歙之;一呼而不聞,再呼而不聞,於是三呼邪,則必以惡聲隨之。向也不怒而今也怒,向也虛而今也實。人能虛己以遊世,其孰能害之!」

新字:君曰:「彼其道幽遠而無人,吾誰与為鄰?吾無糧,我無食,安得而至焉?」市南子曰:「少君之費,寡君之欲,雖無糧而乃足。君其渉於江而浮於海,望之而不見其崖,愈往而不知其所窮。送君者皆自崖而反,君自此遠矣。故有人者累,見有於人者憂。故堯非有人,非見有於人也。吾願去君之累,除君之憂,而独与道遊於大莫之国。方舟而済於河,有虚船来触舟,雖有惼心之人不怒;有一人在其上,則呼張歙之;一呼而不聞,再呼而不聞,於是三呼邪,則必以悪声随之。向也不怒而今也怒,向也虚而今也実。人能虚己以遊世,其孰能害之!」

書き下し

君曰く、「彼の其の道は幽遠にして人無し。吾誰と与(とも)にか鄰を為さん。吾に糧無く、我に食無し。安(いず)くんぞ得て焉(そこ)に至らんや」と。市南子曰く、「君の費を少なくし、君の欲を寡(すく)なくせば、糧無しと雖も乃ち足らん。君其れ江を渉りて海に浮かべば、之を望むも其の崖を見ず、愈(いよい)よ往きて其の窮まる所を知らず。君を送る者は皆な崖より反り、君は此より遠からん。故に人を有(たも)つ者は累(わずら)い、人に有たるる者は憂う。故に堯は人を有つに非ず、人に有たるるに非ざるなり。吾願わくは君の累を去り、君の憂いを除きて、独り道と大莫(たいばく)の国に遊ばんことを。舟を方(なら)べて河を済(わた)るに、虚船(きょせん)の来たりて舟に触るる有らば、惼心(へんしん)の人有りと雖も怒らず。一人其の上に在れば、則ち呼びて之を張歙(ちょうきゅう)せしむ。一たび呼びて聞かれず、再び呼びて聞かれず、是に於いて三たび呼ばば、則ち必ず悪声を以て之に随わん。向(さき)には怒らずして今は怒るは、向には虚にして今は実なればなり。人能く己を虚しくして以て世に遊べば、其れ孰(たれ)か能く之を害せんや」と。

現代語訳

魯侯は言った。「その道は奥深く遠く、人もいない。誰と隣人になればよいのか。食糧もなく、食べるものもない。どうやってそこへ行けようか」。市南子は言った。「出費を減らし、欲を少なくすれば、食糧がなくても足ります。大河を渡り海に浮かべば、見渡しても岸は見えず、行けば行くほど果てが分からなくなる。見送りの者はみな岸から引き返し、あなたはそこから遠く離れていく。だから、人を所有する者は煩わされ、人に所有される者は憂える。堯は人を所有せず、人に所有されもしなかった。私は願う。あなたの煩わしさを取り除き、憂いを除いて、ただ道とともに広大な国に遊ばれることを。舟を並べて河を渡る時、空っぽの舟が流れてきて自分の舟にぶつかれば、どんなに気短な人でも怒らない。ところが、その舟に一人でも乗っていれば、大声で『どけ』と呼ぶ。一度呼んで聞こえず、二度呼んで聞こえず、三度目に呼ぶ時には、必ず罵声を浴びせるだろう。さっきは怒らず、今は怒る。それは、さっきは空っぽで、今は乗っているからだ。人が自分を空っぽにして世を渡れば、いったい誰がその人を害せようか」と。

解説

「虚船」の名高い一段です。空っぽの舟がぶつかっても、誰も怒りません。人が乗っていると、途端に怒りが湧く。ぶつかったという事実は同じなのに、相手がいるかいないかで、まるで違う。怒りは、出来事ではなく、相手の存在から生まれるのです。そして荘子の結論は鮮やかです。だったら、自分が空っぽの舟になればよい。自分を主張しない、自分がそこにいない。そうすれば、誰もあなたに怒れません。人間関係の摩擦のほとんどは、こちらが「乗っている」ことから生まれています。

この一句を、あなたの毎日に。

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