荘子 / 山木
君曰:「彼其道遠而險,又有江山,我無舟車,奈何?」市南子曰:「君無形倨,無留居,以為舟車。」
新字:君曰:「彼其道遠而険,又有江山,我無舟車,奈何?」市南子曰:「君無形倨,無留居,以為舟車。」
書き下し
君曰く、「彼の其の道は遠くして険なり。又た江山有り。我に舟車無し。奈何(いかん)せん」と。市南子曰く、「君、形倨(けいきょ)なる無く、留居(りゅうきょ)する無くんば、以て舟車と為さん」と。
現代語訳
魯侯は言った。「その道は遠く険しい。しかも大河や山がある。私には舟も車もない。どうすればよいのか」。市南子は言った。「あなたが身構えて威張らず、一つの場所に留まらなければ、それが舟となり車となるのです」。
解説
「舟も車もない」という現実的な反論に、市南子は象徴的に答えます。威張らないことが舟であり、留まらないことが車である、と。移動の手段は、外にあるのではない。身構えている姿勢、その場にしがみつく執着。それこそが、動けない理由なのです。私たちも「時間がない」「資金がない」「人がいない」と、外にないものを数えます。しかし本当に足りないのは、身軽さかもしれません。手放せば動ける。この短い答えは、そう言っています。
この章句が説くこと
無形倨無留居舟車は外にない身軽さ動けない理由
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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