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荘子 / 達生

扁子曰:「不然。昔者有鳥止於魯郊,魯君說之,為具太牢以饗之,奏九韶以樂之,鳥乃始憂悲眩視,不敢飲食。此之謂以己養養鳥也。若夫以鳥養養鳥者,宜棲之深林,浮之江湖,食之以委蛇,則平陸而已矣。今休,款啟寡聞之民也,吾告以至人之德,譬之若載鼷以車馬,樂鴳以鐘鼓也。彼又奚能無驚乎哉?」

新字:扁子曰:「不然。昔者有鳥止於魯郊,魯君説之,為具太牢以饗之,奏九韶以楽之,鳥乃始憂悲眩視,不敢飲食。此之謂以己養養鳥也。若夫以鳥養養鳥者,宜棲之深林,浮之江湖,食之以委蛇,則平陸而已矣。今休,款啟寡聞之民也,吾告以至人之徳,譬之若載鼷以車馬,楽鴳以鐘鼓也。彼又奚能無驚乎哉?」

書き下し

扁子曰く、「然らず。昔者(むかし)鳥有り、魯の郊に止まる。魯君之を説(よろこ)び、為に太牢を具えて以て之を饗し、九韶を奏して以て之を楽しましむ。鳥は乃ち始めて憂悲眩視(げんし)して、敢えて飲食せず。此を之れ己を養うを以て鳥を養うと謂うなり。若し夫れ鳥を養うを以て鳥を養う者は、宜しく之を深林に棲ましめ、之を江湖に浮かべ、之に食(くら)わしむるに委蛇(いい)を以てせば、則ち平陸のみ。今休は、款啓(かんけい)寡聞の民なり。吾告ぐるに至人の徳を以てす。之を譬うれば鼷(ねずみ)を載するに車馬を以てし、鴳(うずら)を楽しましむるに鐘鼓を以てするが若きなり。彼又た奚(なん)ぞ能く驚く無からんや」と。

現代語訳

扁子は言った。「そうではない。昔、鳥が魯の郊外に舞い降りた。魯の君主はそれを喜び、最高のごちそうを供え、最高の音楽を奏でて楽しませようとした。ところが鳥は憂え悲しみ、目を回して、飲むことも食べることもできなかった。これを『自分を養うやり方で鳥を養う』という。もし鳥を養うやり方で鳥を養うなら、深い林に棲まわせ、川や湖に浮かばせ、餌を自然に任せて食べさせればよい。平らな陸地で、それだけでよかったのだ。今の孫休は、狭い見識しか持たない者だ。それなのに私は、至人の徳を説いてしまった。それは、ハツカネズミを馬車に乗せ、ウズラを鐘や太鼓で楽しませるようなものだ。彼が驚かないはずがない」。

解説

達生篇を締めくくる一段です。至楽篇にも出てきた「海鳥の死」の話が、ここで再び使われます。ただし今回は、自分自身の失敗として語られる点が違います。扁子は、悩んで訪ねてきた男に、最高の教えを与えました。悪意はありません。ところが相手にとっては、それは受け取れないものだった。ハツカネズミを馬車に乗せるようなものだ、と。良いものを与えれば良い、というのは間違いです。相手が受け取れる形でなければ、それは暴力になります。教える側の、最も深い反省がここにあります。

この一句を、あなたの毎日に。

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