荘子 / 達生
祝宗人玄端以臨牢筴,說彘曰:「汝奚惡死?吾將三月豢汝,十日戒,三日齊,藉白茅,加汝肩尻乎彫俎之上,則汝為之乎?」為彘謀曰:「不如食以糠糟,而錯之牢筴之中。」自為謀,則苟生有軒冕之尊,死得於腞、楯之上,聚僂之中,則為之。為彘謀則去之,自為謀則取之,所異彘者何也?
新字:祝宗人玄端以臨牢筴,説彘曰:「汝奚悪死?吾将三月豢汝,十日戒,三日斉,藉白茅,加汝肩尻乎彫俎之上,則汝為之乎?」為彘謀曰:「不如食以糠糟,而錯之牢筴之中。」自為謀,則苟生有軒冕之尊,死得於腞、楯之上,聚僂之中,則為之。為彘謀則去之,自為謀則取之,所異彘者何也?
書き下し
祝宗人(しゅくそうじん)玄端(げんたん)して以て牢筴(ろうさく)に臨む。彘(ぶた)に説(と)きて曰く、「汝奚(なん)ぞ死を悪(にく)むか。吾将に三月汝を豢(やしな)い、十日戒め、三日斉(さい)し、白茅(はくぼう)を藉(し)き、汝の肩尻(けんこう)を彫俎(ちょうそ)の上に加えんとす。則ち汝は之を為すか」と。彘の為に謀りて曰く、「糠糟(こうそう)を以て食らわしめて、之を牢筴の中に錯(お)くに如かず」と。自ら為に謀れば、則ち苟(いやしく)も生きて軒冕(けんべん)の尊有り、死して腞楯(てんじゅん)の上、聚僂(しゅうろう)の中に得ば、則ち之を為さん。彘の為に謀れば則ち之を去り、自ら為に謀れば則ち之を取る。彘に異なる所の者は何ぞや。
現代語訳
祭祀を司る役人が、礼服を着て豚小屋の前に立った。豚に向かって説いて言った。「おまえはどうして死を嫌がるのか。私はこれから三か月おまえを養い、十日間身を慎み、三日間斎戒し、白い茅を敷いて、おまえの肩と尻を美しい台の上に載せてやろう。おまえはそうされたいか」。豚の身になって考えれば、「糠や酒粕を食べさせてもらって、豚小屋に置いておいてもらうほうがましだ」となる。ところが自分のこととなると、生きている間は高い位と立派な冠の尊さがあり、死んでは飾り立てた霊柩の上、豪華な棺の中に納められるなら、それを受け入れる。豚のために考える時はそれを退け、自分のために考える時はそれを選ぶ。豚と違うところが、どこにあるのか。
解説
この章句が説くこと
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荘子・達生生の情に達する者は、生の以て為す無き所を務めず。命の情に達する者は、知の奈何(いかん)ともする無き所を務めず。形を養うには必ず之に先んずるに物を以てす。物余り有りて形養われざる者有り。生有らんには必ず先ず形を離るる無し。形離れずして生亡(うしな)う者有り。生の来たるは却(しりぞ)くる能わず、其の去るは止むる能わず。悲しいかな。世の人は以て形を養えば以て生を存するに足ると為す。而も形を養うは果たして以て生を存するに足らず。則ち世は奚(なん)ぞ為すに足らんや。為すに足らずと雖も而も為さざるべからざる者は、其の為すこと免れざればなり。
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荘子・列禦寇或るひと荘子を聘(へい)す。荘子其の使に応えて曰く、「子は夫の犠牛(ぎぎゅう)を見るか。衣(き)するに文繡(ぶんしゅう)を以てし、食らわしむるに芻叔(すうしゅく)を以てす。其の牽かれて太廟に入るに及びて、孤犢(ことく)と為らんと欲すと雖も、其れ得べけんや」と。
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荘子・駢拇故に嘗(こころ)みに之を論ぜん。三代より以下は、天下は物を以て其の性を易えざる莫し。小人は則ち身を以て利に殉(したが)い、士は則ち身を以て名に殉い、大夫は則ち身を以て家に殉い、聖人は則ち身を以て天下に殉う。故に此の数子(すうし)なる者は、事業同じからず、名声号を異にするも、其の性を傷(そこな)い身を以て殉(じゅん)と為すに於けるは、一なり。臧(ぞう)と穀(こく)と、二人相与に羊を牧して、倶に其の羊を亡(うしな)えり。臧に奚(なに)を事とせるかを問えば、則ち筴(さく)を挟みて書を読めり。穀に奚を事とせるかを問えば、則ち博塞(はくさい)して以て遊べり。二人なる者は、事業同じからざるも、其の羊を亡えるに於けるは均(ひと)し。伯夷は名に首陽の下に死し、盗跖(とうせき)は利に東陵の上に死す。二人なる者は、死する所同じからざるも、其の生を残(そこな)い性を傷るに於けるは均し。奚ぞ必ずしも伯夷を是として盗跖を非とせんや。天下は尽く殉するなり。彼の其の殉ずる所仁義なれば、則ち俗は之を君子と謂う。其の殉ずる所貨財なれば、則ち俗は之を小人と謂う。其の殉ずるは一なるに、則ち君子有り、小人有り。若し其の生を残い性を損なうことは、則ち盗跖も亦た伯夷のみ。又た悪(いず)くんぞ君子小人を其の間に取らんや。且つ夫れ其の性を仁義に属(つな)ぐ者は、曾・史の如く通ずと雖も、吾が所謂臧(よ)きに非ざるなり。其の性を五味に属ぐ者は、俞児(ゆじ)の如く通ずと雖も、吾が所謂臧きに非ざるなり。其の性を五声に属ぐ者は、師曠の如く通ずと雖も、吾が所謂聡に非ざるなり。其の性を五色に属ぐ者は、離朱の如く通ずと雖も、吾が所謂明に非ざるなり。吾が所謂臧き者は、仁義の謂いに非ざるなり。其の徳に臧きのみ。吾が所謂臧き者は、所謂仁義の謂いに非ざるなり。其の性命の情に任ずるのみ。吾が所謂聡なる者は、其の彼を聞くを謂うに非ざるなり。自ら聞くのみ。吾が所謂明なる者は、其の彼を見るを謂うに非ざるなり。自ら見るのみ。夫れ自ら見ずして彼を見、自ら得ずして彼を得る者は、是れ人の得を得て自ら其の得を得ざる者なり。人の適(てき)に適して自ら其の適に適せざる者なり。夫れ人の適に適して自ら其の適に適せざれば、盗跖と伯夷と雖も、是れ同じく淫僻(いんぺき)を為すなり。余は道徳に愧(は)ず。是を以て上は敢えて仁義の操を為さず、而して下は敢えて淫僻の行を為さざるなり。
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荘子・達生孫休(そんきゅう)なる者有り。門に踵(いた)りて子扁慶子(しへんけいし)に詫(つ)げて曰く、「休は郷に居りて修めずと謂われず、難に臨みて勇ならずと謂われず。然り而して田原に歳(とし)に遇わず、君に事えて世に遇わず。郷里に賓(しりぞ)けられ、州部に逐(お)わる。則ち胡(なん)の罪か天に在らんや。休は悪(いず)くんぞ此の命に遇えるや」と。扁子曰く、「子は独り夫の至人の自ら行うを聞かざるか。其の肝胆を忘れ、其の耳目を遺(わす)れ、芒然(ぼうぜん)として塵垢の外に彷徨し、無事の業に逍遥す。是を『為して恃(たの)まず、長じて宰(つかさど)らず』と謂う。今汝は知を飾りて以て愚を驚かし、身を修めて以て汙(お)を明らかにす。昭昭乎(しょうしょうこ)として日月を揭(かか)げて行くが若きなり。汝は全き形躯を得、九竅(きゅうきょう)を具え、中道にして聾盲跛蹇(ろうもうはけん)に夭せずして人の数に比す。亦た幸いなり。又た何ぞ天を怨むに暇あらんや。子往け」と。
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荘子・達生田開之(でんかいし)周の威公に見(まみ)ゆ。威公曰く、「吾聞く、祝腎(しゅくじん)は生を学ぶと。吾子は祝腎と游ぶ。亦た何をか焉(これ)に聞けるか」と。田開之曰く、「開之は拔篲(はっすい)を操りて以て門庭に倚(よ)るのみ。亦た何をか夫子に聞かんや」と。威公曰く、「田子譲ること無かれ。寡人願わくは之を聞かん」と。開之曰く、「之を夫子に聞けり。曰く、『善く生を養う者は、羊を牧するが若く然り。其の後(おく)るる者を視て之を鞭(むちう)つ』と」。威公曰く、「何の謂いぞや」と。田開之曰く、「魯に単豹(ぜんぴょう)なる者有り。巌に居りて水を飲み、民と利を共にせず。行年七十にして猶お嬰児の色有り。不幸にして餓虎に遇い、餓虎殺して之を食らう。張毅(ちょうき)なる者有り。高門・懸薄(けんはく)、走らざる無し。行年四十にして内熱の病有りて以て死す。豹は其の内を養いて虎は其の外を食らい、毅は其の外を養いて病は其の内を攻む。此の二子なる者は、皆な其の後るる者を鞭たざるなり」と。
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荘子・盗跖無足(むそく)知和(ちわ)に問いて曰く、「人卒(じんそつ)に未だ名を興し利に就かざる者有らず。彼富めば則ち人之に帰す。帰すれば則ち之に下る。下れば則ち之を貴ぶ。夫れ下られ貴ばるるを見るは、長生・安体・楽意の道なり。今、子独り焉(これ)に意無きは、知足らざるか。意(そ)れ知りて力の行う能わざるか。故に正を推して忘れざるか」と。知和曰く、「今、夫れ此の人は、己と時を同じくして生まれ、郷を同じくして処る者を以て、夫の俗を絶ち世に過ぐるの士と為す。是れ専ら主正無く、古今の時、是非の分を覧る所以なり。俗と与に世に化す。至重を去り、至尊を棄てて、以て其の為す所を為すなり。此れ其の長生・安体・楽意の道を論ずる所以、亦た遠からずや。惨怛(さんだつ)の疾、恬愉(てんゆ)の安、体に監(かんが)みず。怵惕(じゅつてき)の恐、欣懽(きんかん)の喜、心に監みず。為を為すを知りて、為す所以を知らず。是を以て貴きこと天子と為り、富は天下を有つも、患いを免れざるなり」と。
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