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荘子 / 達生

仲尼曰:「無入而藏,無出而陽,柴立其中央。三者若得,其名必極。夫畏塗者,十殺一人,則父子兄弟相戒也,必盛卒徒而後敢出焉,不亦知乎!人之所取畏者,衽席之上,飲食之間,而不知為之戒者,過也。」

新字:仲尼曰:「無入而蔵,無出而陽,柴立其中央。三者若得,其名必極。夫畏塗者,十殺一人,則父子兄弟相戒也,必盛卒徒而後敢出焉,不亦知乎!人之所取畏者,衽席之上,飲食之間,而不知為之戒者,過也。」

書き下し

仲尼曰く、「入りて蔵(かく)るる無かれ、出でて陽(あら)わるる無かれ。柴(さい)のごとく其の中央に立て。三者若し得ば、其の名は必ず極まらん。夫れ畏塗(いと)なる者は、十に一人を殺せば、則ち父子兄弟相戒む。必ず卒徒(そつと)を盛んにして而る後に敢えて出づ。亦た知ならずや。人の畏るるを取る所の者は、衽席(じんせき)の上、飲食の間なり。而も之が戒めを為すを知らざるは、過ちなり」と。

現代語訳

孔子は言った。「内に引きこもって隠れてもならず、外に出て目立ってもならない。枯れ木のように、その中央に立ちなさい。この三つが得られれば、その名は必ず極まるだろう。危険な道というものは、十人に一人が殺されるとなれば、父子兄弟が互いに戒め合い、必ず護衛を大勢連れてから出かける。これは賢明ではないか。ところが人が本当に恐れるべきものは、寝床の上と、飲み食いの間にある。それなのに、そこで戒めることを知らない。これは過ちである」と。

解説

前段を受けて、中庸のありようを説く一段です。引きこもりもせず、目立ちもせず、その中央に立つ。単豹と張毅の失敗を踏まえた、実践的な処方です。そして後半の指摘が鋭い。人は危険な道を通る時は用心するのに、寝床と飲食では用心しない。つまり、目に見える危険には備えるが、日常に潜む危険には無防備なのです。事故や災害には備えるのに、日々の暴飲暴食や不摂生、乱れた生活には無警戒。実際に人を壊すのは、劇的な出来事より、毎日の小さな習慣です。恐れるべき場所を、間違えているのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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