荘子 / 達生
夫欲免為形者,莫如棄世。棄世則無累,無累則正平,正平則與彼更生,更生則幾矣。事奚足棄而生奚足遺?棄事則形不勞,遺生則精不虧。夫形全精復,與天為一。天地者,萬物之父母也,合則成體,散則成始。形精不虧,是謂能移;精而又精,反以相天。
新字:夫欲免為形者,莫如棄世。棄世則無累,無累則正平,正平則与彼更生,更生則幾矣。事奚足棄而生奚足遺?棄事則形不労,遺生則精不虧。夫形全精復,与天為一。天地者,万物之父母也,合則成体,散則成始。形精不虧,是謂能移;精而又精,反以相天。
書き下し
夫れ形を為(おさ)むるを免れんと欲する者は、世を棄つるに如くは莫し。世を棄つれば則ち累(わずら)い無し。累い無ければ則ち正平(せいへい)なり。正平なれば則ち彼と与に更生(こうせい)す。更生すれば則ち幾(ちか)し。事は奚ぞ棄つるに足り、生は奚ぞ遺(わす)るるに足らん。事を棄つれば則ち形労せず。生を遺るれば則ち精虧(か)けず。夫れ形全く精復すれば、天と一と為る。天地なる者は、万物の父母なり。合すれば則ち体を成し、散ずれば則ち始めを成す。形精虧けざる、是を能く移ると謂う。精にして又た精、反りて以て天を相(たす)く。
現代語訳
体に縛られることから逃れたければ、世を捨てるに越したことはない。世を捨てれば煩わしさがなくなる。煩わしさがなくなれば、心は平らかになる。心が平らかになれば、天とともに新たに生まれ変わる。生まれ変われば、道に近い。しかし、仕事を捨てるとはどういうことか。生を忘れるとはどういうことか。仕事を捨てれば体は疲れない。生を忘れれば精気は欠けない。体が全うされ精気が回復すれば、天と一つになる。天地は万物の父母である。合わされば形をなし、散じれば始まりに戻る。体と精気が欠けないこと、これを『移り変わることができる』という。精気をさらに精妙にして、立ち返って天を助けるのだ。
解説
この章句が説くこと
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