荘子 / 至楽
支離叔與滑介叔觀於冥伯之丘,崑崙之虛,黃帝之所休。俄而柳生其左肘,其意蹶蹶然惡之。支離叔曰:「子惡之乎?」滑介叔曰:「亡。予何惡?生者,假借也;假之而生生者,塵垢也。死生為晝夜。且吾與子觀化而化及我,我又何惡焉?」
新字:支離叔与滑介叔観於冥伯之丘,崑崙之虚,黄帝之所休。俄而柳生其左肘,其意蹶蹶然悪之。支離叔曰:「子悪之乎?」滑介叔曰:「亡。予何悪?生者,仮借也;仮之而生生者,塵垢也。死生為昼夜。且吾与子観化而化及我,我又何悪焉?」
書き下し
支離叔(しりしゅく)と滑介叔(こつかいしゅく)と冥伯(めいはく)の丘、崑崙の虚に観る。黄帝の休せし所なり。俄(にわ)かにして柳(こぶ)其の左肘に生ず。其の意蹶蹶然(けつけつぜん)として之を悪(にく)む。支離叔曰く、「子は之を悪むか」と。滑介叔曰く、「亡(な)し。予何ぞ悪まん。生なる者は、假借(かしゃく)なり。之を假りて生を生ずる者は、塵垢なり。死生は昼夜と為す。且つ吾子と与に化を観る。而して化我に及ぶ。我又た何ぞ焉(これ)を悪まんや」と。
現代語訳
支離叔と滑介叔が、冥伯の丘、崑崙の廃墟を眺めていた。黄帝が休んだところである。突然、滑介叔の左肘に瘤ができた。彼はぎょっとして、それを嫌がる様子だった。支離叔が「君はそれが嫌なのか」と尋ねた。滑介叔は言った。「いや。どうして嫌がろうか。生というものは、借り物にすぎない。それを借りて生きているものは、塵や垢のようなものだ。死と生は、昼と夜のようなものだ。それに私は君と一緒に、物事の変化を眺めていた。その変化が、私にも及んだのだ。どうして嫌がることがあろうか」と。
解説
変化を眺めていたら、その変化が自分に及んだ。この構図が絶妙な一段です。滑介叔は、突然できた瘤に一瞬ぎょっとします。人間らしい反応です。しかしすぐに立て直す。私たちは変化を語る時、たいてい自分は安全圏にいるつもりです。他人の不幸、他人の老い、他人の失敗。ところが、それは必ず自分にも及びます。その時、他人事として語っていた言葉が、自分に返ってくる。「変化が私にも及んだ。どうして嫌がることがあろうか」。この一言を、自分に降りかかった時に言えるかどうか。そこが問われています。