荘子 / 秋水
蛇謂風曰:「予動吾脊脅而行,則有似也。今子蓬蓬然起於北海,蓬蓬然入於南海,而似無有,何也?」風曰:「然。予蓬蓬然起於北海而入於南海也,然而指我則勝我,䠓我亦勝我。雖然,夫折大木,蜚大屋者,唯我能也,故以眾小不勝為大勝也。為大勝者,唯聖人能之。」
新字:蛇謂風曰:「予動吾脊脅而行,則有似也。今子蓬蓬然起於北海,蓬蓬然入於南海,而似無有,何也?」風曰:「然。予蓬蓬然起於北海而入於南海也,然而指我則勝我,䠓我亦勝我。雖然,夫折大木,蜚大屋者,唯我能也,故以衆小不勝為大勝也。為大勝者,唯聖人能之。」
書き下し
蛇風に謂いて曰く、「予は吾が脊脅(せききょう)を動かして行けば、則ち似たる有り。今子は蓬蓬然(ほうほうぜん)として北海に起こり、蓬蓬然として南海に入る。而も有る無きに似たり。何ぞや」と。風曰く、「然り。予は蓬蓬然として北海に起こりて南海に入るなり。然り而して我を指せば則ち我に勝ち、我を䠓(ふ)むも亦た我に勝つ。然りと雖も、夫れ大木を折り、大屋を蜚(と)ばす者は、唯だ我のみ能くするなり。故に衆小の勝たざるを以て大勝と為すなり。大勝を為す者は、唯だ聖人のみ之を能くす」と。
現代語訳
蛇が風に言った。「私は背骨と脇腹を動かして進む。まだ形あるものらしい動きだ。ところがおまえは、ごうごうと北の海から起こり、ごうごうと南の海に入っていく。それでいて、何もないように見える。どういうことだ」。風は言った。「そのとおり。私はごうごうと北の海から起こり、南の海に入っていく。しかし、指一本で私を指されれば私は負ける。足で踏まれても私は負ける。とはいえ、大木をへし折り、大きな家を吹き飛ばせるのは、私だけだ。だから、小さなところで負け続けることを、大いなる勝ちとするのだ。この大いなる勝ちを成せるのは、聖人だけである」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荘子・秋水蚿蛇に謂いて曰く、「吾は衆足を以て行く。而も子の足無きに及ばざるは、何ぞや」と。蛇曰く、「夫れ天機の動かす所、何ぞ易(か)うべけんや。吾安(いず)くんぞ足を用いんや」と。
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荘子・秋水河伯曰く、「世の議者は皆な曰く、『至精は形無く、至大は囲むべからず』と。是れ情を信ずるか」と。北海の若曰く、「夫れ細より大を視る者は尽くさず、大より細を視る者は明らかならず。夫れ精は、小の微なり。垺(ふ)は、大の殷(おお)いなり。故に便を異にす。此れ勢の有る所なり。夫れ精粗なる者は、有形に期する者なり。無形なる者は、数の分かつ能わざる所なり。囲むべからざる者は、数の窮むる能わざる所なり。言論すべき者は、物の粗なり。意を以て致すべき者は、物の精なり。言の論ずる能わざる所、意の察致する能わざる所は、精粗に期せず。是の故に大人の行は、人を害するに出でざるも、仁恩を多(た)とせず。動くに利を為さざるも、門隷(もんれい)を賤しまず。貨財を争わざるも、辞譲を多とせず。事に人を惜しまざるも、力に食(は)むを多とせず、貪汚(たんお)を賤しまず。行いは俗に殊なるも、辟異(へきい)を多とせず。為すに衆に従うに在るも、佞諂(ねいてん)を賤しまず。世の爵禄も以て勧(すす)めと為すに足らず、戮恥(りくち)も以て辱と為すに足らず。是非の分と為すべからず、細大の倪(きわみ)と為すべからざるを知ればなり。聞くならく、『道人は聞こえず、至徳は得ず、大人は己無し』と。分(ぶん)を約するの至りなり」と。
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荘子・秋水北海の若曰く、「井蛙(せいあ)は以て海を語るべからざる者は、虚に拘(こだ)わればなり。夏虫(かちゅう)は以て冰(こおり)を語るべからざる者は、時に篤(あつ)ければなり。曲士(きょくし)は以て道を語るべからざる者は、教に束(つな)がるればなり。今爾(なんじ)は崖涘(がいし)を出でて、大海を観る。乃ち爾の醜を知る。爾は将に与に大理を語るべし。天下の水は、海より大なるは莫し。万川之に帰するも、何れの時に止むかを知らずして盈(み)たず。尾閭(びりょ)之を泄(もら)すも、何れの時に已(や)むかを知らずして虚しからず。春秋も変ぜず、水旱(すいかん)も知らず。此れ其の江河の流れに過ぐること、量数を為すべからず。而も吾未だ嘗て此を以て自ら多(た)とせざるは、自ら形を天地に比し気を陰陽に受くと以(おも)えばなり。吾天地の間に在るは、猶お小石小木の大山に在るがごとし。方(まさ)に少なきを見るに存す。又た奚(なん)ぞ以て自ら多とせんや。四海の天地の間に在るを計るに、礨空(らいくう)の大沢に在るに似ずや。中国の海内に在るを計るに、稊米(ていべい)の大倉に在るに似ずや。物の数を号して万と謂う。人は一に処る。人卒(じんそつ)は九州、穀食の生ずる所、舟車の通ずる所なるも、人は一に処る。此れ其の万物に比するや、豪末(ごうまつ)の馬体に在るに似ずや。五帝の連ぬる所、三王の争う所、仁人の憂うる所、任士の労する所は、尽く此のみ。伯夷は之を辞して以て名と為し、仲尼は之を語りて以て博と為す。此れ其の自ら多とするは、爾の向(さき)に水に自ら多とせしに似ずや」と。
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荘子・秋水河伯曰く、「然らば則ち吾天地を大とし毫末(ごうまつ)を小とするは可ならんか」と。北海の若曰く、「否。夫れ物は、量に窮まり無く、時に止まり無く、分に常無く、終始に故(もと)無し。是の故に大知は遠近を観る。故に小なるも寡(すく)なしとせず、大なるも多しとせず。量の窮まり無きを知ればなり。今故(こんこ)を証曏(しょうきょう)す。故に遥かなるも悶えず、掇(ちか)きも跂(つまだ)てず。時の止まり無きを知ればなり。盈虚(えいきょ)を察す。故に得るも喜ばず、失うも憂えず。分の常無きを知ればなり。坦塗(たんと)に明らかなり。故に生も説(よろこ)ばず、死も禍とせず。終始の故とすべからざるを知ればなり。人の知る所を計るに、其の知らざる所に若かず。其の生の時は、未だ生ぜざるの時に若かず。其の至小を以て、其の至大の域を窮めんことを求む。是の故に迷乱して自得する能わざるなり。此に由りて之を観れば、又た何を以て毫末の以て至細の倪(きわみ)を定むるに足るを知らんや。又た何を以て天地の以て至大の域を窮むるに足るを知らんや」と。
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荘子・秋水秋水時に至り、百川河に灌(そそ)ぐ。涇流(けいりゅう)の大なる、両涘(りょうし)渚崖(しょがい)の間、牛馬を辯(べん)ぜず。是に於いてか河伯(かはく)欣然(きんぜん)として自ら喜び、天下の美を以て尽く己に在りと為す。流れに順いて東行し、北海に至る。東面して視るに、水の端(はし)を見ず。是に於いてか河伯始めて其の面目を旋(めぐ)らし、洋を望みて若(じゃく)に向かいて歎じて曰く、「野語に之れ有り、曰く『道を聞くこと百にして、以て己に若(し)く莫しと為す』とは、我の謂いなり。且つ夫れ我嘗て仲尼の聞を少(すく)なしとして伯夷の義を軽んずる者を聞けり。始め吾は信ぜず。今我子の窮め難きを睹(み)る。吾子の門に至るに非ずんば則ち殆(あや)うからん。吾長(とこ)しえに大方の家に笑わるるならん」と。
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荘子・秋水河伯曰く、「然らば則ち我何をか為さんか、何をか為さざらんか。吾が辞受趣舎(じじゅしゅしゃ)、吾終(つい)に奈何せん」と。北海の若曰く、「道を以て之を観れば、何をか貴しとし何をか賎しとせん。是を反衍(はんえん)と謂う。而(なんじ)の志を拘(こだ)わる無かれ。道と大いに蹇(そむ)かん。何をか少なしとし何をか多しとせん。是を謝施(しゃし)と謂う。一に行うこと無かれ。道と参差(しんし)たらん。厳乎(げんこ)として国の君有るが若し。其れ私徳無し。繇繇乎(ゆうゆうこ)として祭の社有るが若し。其れ私福無し。泛泛乎(はんぱんこ)として其れ四方の窮まり無きが若し。其れ畛域(しんいき)とする所無し。兼ねて万物を懐(いだ)く。其れ孰(たれ)をか承翼(しょうよく)せん。是を無方と謂う。万物は一斉なり。孰か短く孰か長からん。道に終始無く、物に死生有り。其の成に恃(たの)まず。一たびは虚しく一たびは満つ。其の形に位せず。年は挙ぐべからず、時は止むべからず。消息盈虚(しょうそくえいきょ)、終われば則ち始め有り。是れ大義の方を語り、万物の理を論ずる所以なり。物の生ずるや驟(はし)るが若く馳するが若し。動きて変ぜざる無く、時として移らざる無し。何をか為さんか、何をか為さざらんか。夫れ固より将に自ら化せんとす」と。
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