荘子 / 秋水
蚿謂蛇曰:「吾以眾足行,而不及子之無足,何也?」蛇曰:「夫天機之所動,何可易邪?吾安用足哉!」
新字:蚿謂蛇曰:「吾以衆足行,而不及子之無足,何也?」蛇曰:「夫天機之所動,何可易邪?吾安用足哉!」
書き下し
蚿蛇に謂いて曰く、「吾は衆足を以て行く。而も子の足無きに及ばざるは、何ぞや」と。蛇曰く、「夫れ天機の動かす所、何ぞ易(か)うべけんや。吾安(いず)くんぞ足を用いんや」と。
現代語訳
ヤスデが蛇に言った。「私はたくさんの足で歩いている。それなのに、足のないおまえに及ばないのは、なぜだ」。蛇は言った。「天のからくりが動かしているのだ。どうして変えられようか。私に足など要るものか」。
解説
たくさんの足を持つヤスデが、足のない蛇に負けている。この逆転が面白い一段です。道具や手段が多いほど有利だとは限りません。むしろ、足がないからこそ、蛇はしなやかに進めるのです。そして蛇の答えは、ヤスデと同じでした。「天のからくりが動かしている」。どちらも、自分では説明できない何かに従って動いています。持っているものが多いことと、うまく進めることは、別の話です。私たちも、道具や資格や肩書きを増やしがちですが、増やすほど身軽さは失われていきます。
この章句が説くこと
無足の蛇多いほど有利ではない天機の動かす所身軽さ
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