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荘子 / 繕性

樂全之謂得志。古之所謂得志者,非軒冕之謂也,謂其無以益其樂而已矣。今之所謂得志者,軒冕之謂也。軒冕在身,非性命也,物之儻來,寄者也。寄之,其來不可圉,其去不可止。故不為軒冕肆志,不為窮約趨俗,其樂彼與此同,故無憂而已矣。今寄去則不樂,由是觀之,雖樂,未嘗不荒也。故曰:喪己於物,失性於俗者,謂之倒置之民。

新字:楽全之謂得志。古之所謂得志者,非軒冕之謂也,謂其無以益其楽而已矣。今之所謂得志者,軒冕之謂也。軒冕在身,非性命也,物之儻来,寄者也。寄之,其来不可圉,其去不可止。故不為軒冕肆志,不為窮約趨俗,其楽彼与此同,故無憂而已矣。今寄去則不楽,由是観之,雖楽,未嘗不荒也。故曰:喪己於物,失性於俗者,謂之倒置之民。

書き下し

楽全(らくぜん)、之を志を得ると謂う。古の所謂志を得る者は、軒冕(けんべん)の謂いに非ざるなり。其の以て其の楽を益す無きを謂うのみ。今の所謂志を得る者は、軒冕の謂いなり。軒冕の身に在るは、性命に非ざるなり。物の儻(たまた)ま来たりて、寄する者なり。之を寄すれば、其の来たるや圉(ふせ)ぐべからず、其の去るや止むべからず。故に軒冕の為に志を肆(ほしいまま)にせず、窮約の為に俗に趨(おもむ)かず。其の楽は彼と此と同じ。故に憂い無きのみ。今寄する者去れば則ち楽しまず。是に由りて之を観れば、楽しむと雖も、未だ嘗て荒(すさ)まざるにあらず。故に曰く、己を物に喪い、性を俗に失う者、之を倒置の民と謂う。

現代語訳

楽しみが全うされていること、これを『志を得た』という。昔の人が言う『志を得た』とは、高い位や立派な冠のことではなかった。それ以上に楽しみを増やしようがない、ということを言ったのだ。今の人が言う『志を得た』は、高い位や立派な冠のことである。位や冠が身にあるのは、本来の性ではない。たまたま外からやって来て、身に寄せられているだけのものだ。寄せられたものは、来る時は防げず、去る時は止められない。だから、位や冠のために志を歪めず、行き詰まったからといって俗に流されない。その楽しみは、あちらでもこちらでも同じである。だから憂いがない。今の人は、寄せられたものが去れば楽しめなくなる。こう見てくると、楽しんでいるようでいて、実は常に荒んでいるのだ。だから言うのだ。自分を物によって失い、本性を俗によって失う者、これを『あべこべの民』という、と。

解説

繕性篇を締めくくる、鮮やかな一段です。位や名誉は「たまたま外からやって来て、身に寄せられているだけのもの」。来る時は防げず、去る時は止められない。自分のものではないのです。それを自分の価値だと思えば、去った時に楽しめなくなる。だから、持っている間も、実は荒んでいる。失うのが怖いからです。「倒置の民」、つまりあべこべの人。自分と物の主従が逆転している。肩書きが自分を支えているのか、自分が肩書きを支えているのか。それが去った時に、何が残るか。そこにその人の本当の楽しみがあります。

この一句を、あなたの毎日に。

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