荘子 / 繕性
繕性於俗,俗學以求復其初,滑欲於俗,思以求致其明,謂之蔽蒙之民。
新字:繕性於俗,俗学以求復其初,滑欲於俗,思以求致其明,謂之蔽蒙之民。
書き下し
性を俗に繕(おさ)め、俗学以て其の初めに復せんことを求め、欲を俗に滑(みだ)し、思いて以て其の明を致さんことを求むる。之を蔽蒙(へいもう)の民と謂う。
現代語訳
俗世のやり方で本性を修繕し、俗世の学問によって本来の姿に立ち返ろうとする。俗世のやり方で欲望をかき乱し、あれこれ考えることで明晰さに至ろうとする。こういう人を『覆い隠され、暗くされた民』という。
解説
繕性篇の冒頭で、たった一行の痛烈な批判です。本来の姿に戻りたいのに、戻るための手段が俗世のやり方である。明晰になりたいのに、そのために俗世の学問でごちゃごちゃ考える。手段が目的を裏切っているのです。心を静めたくて情報を集め、シンプルになりたくて新しい方法を学ぶ。私たちも同じことをしています。目的地と反対方向の乗り物に乗って、必死に漕いでいる。しかも本人は前進しているつもりです。「蔽蒙の民」とは、覆い隠されて暗くなった人。自分が暗くなっていることにすら、気づいていません。
この章句が説くこと
蔽蒙之民手段が目的を裏切る俗学逆方向に漕ぐ
関連する章句
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荘子・繕性楽全(らくぜん)、之を志を得ると謂う。古の所謂志を得る者は、軒冕(けんべん)の謂いに非ざるなり。其の以て其の楽を益す無きを謂うのみ。今の所謂志を得る者は、軒冕の謂いなり。軒冕の身に在るは、性命に非ざるなり。物の儻(たまた)ま来たりて、寄する者なり。之を寄すれば、其の来たるや圉(ふせ)ぐべからず、其の去るや止むべからず。故に軒冕の為に志を肆(ほしいまま)にせず、窮約の為に俗に趨(おもむ)かず。其の楽は彼と此と同じ。故に憂い無きのみ。今寄する者去れば則ち楽しまず。是に由りて之を観れば、楽しむと雖も、未だ嘗て荒(すさ)まざるにあらず。故に曰く、己を物に喪い、性を俗に失う者、之を倒置の民と謂う。
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