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荘子 / 刻意

故曰:悲樂者,德之邪;喜怒者,道之過;好惡者,德之失。故心不憂樂,德之至也;一而不變,靜之至也;無所於忤,虛之至也;不與物交,惔之至也;無所於逆,粹之至也。

新字:故曰:悲楽者,徳之邪;喜怒者,道之過;好悪者,徳之失。故心不憂楽,徳之至也;一而不変,静之至也;無所於忤,虚之至也;不与物交,惔之至也;無所於逆,粋之至也。

書き下し

故に曰く、悲楽なる者は、徳の邪なり。喜怒なる者は、道の過ちなり。好悪なる者は、徳の失なり。故に心に憂楽(ゆうらく)せざるは、徳の至りなり。一にして変ぜざるは、静の至りなり。忤(さから)う所無きは、虚の至りなり。物と交わらざるは、惔(たん)の至りなり。逆らう所無きは、粋の至りなり。

現代語訳

だから言うのだ。悲しみや喜びは、徳を歪めるものである。喜びや怒りは、道を踏み外させるものである。好き嫌いは、徳を失わせるものである。だから、心が憂えたり浮かれたりしないことが、徳の極みである。一つに定まって変わらないことが、静けさの極みである。何にも逆らわないことが、虚しさの極みである。物と交わらないことが、淡々とすることの極みである。何にも背かないことが、純粋さの極みである。

解説

感情そのものを問題にした、厳しい一段です。悲しみも喜びも、怒りも好き嫌いも、すべて徳を歪めるものだと言い切ります。ただし、感情を抑え込めという話ではないでしょう。「心に憂楽せざる」とは、感情に心を持っていかれない、ということです。嬉しいことがあれば嬉しい。しかし、それに心を占領されない。悲しいことがあれば悲しい。しかし、それに支配されない。感情は湧いてきますが、それは通り過ぎるものです。通り過ぎるものに、心の主導権を渡さない。それが「一にして変ぜざる」という状態です。

この一句を、あなたの毎日に。

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