荘子 / 天運
且子獨不見夫桔槔者乎?引之則俯,舍之則仰。彼,人之所引,非引人也,故俯仰而不得罪於人。故夫三皇、五帝之禮義法度,不矜於同而矜於治。故譬三皇、五帝之禮義法度,其猶柤梨橘柚邪!其味相反,而皆可於口。
新字:且子独不見夫桔槔者乎?引之則俯,舎之則仰。彼,人之所引,非引人也,故俯仰而不得罪於人。故夫三皇、五帝之礼義法度,不矜於同而矜於治。故譬三皇、五帝之礼義法度,其猶柤梨橘柚邪!其味相反,而皆可於口。
書き下し
且つ子は独り夫の桔槔(きっこう)なる者を見ずや。之を引けば則ち俯し、之を舎(す)つれば則ち仰ぐ。彼は、人の引く所にして、人を引くに非ざるなり。故に俯仰して罪を人に得ず。故に夫れ三皇・五帝の礼義法度は、同じきを矜(ほこ)らずして治まるを矜る。故に三皇・五帝の礼義法度を譬(たと)うれば、其れ猶お柤(さ)・梨・橘・柚(ゆう)のごときか。其の味は相反すれども、而も皆な口に可なり。
現代語訳
それに、あの跳ね釣瓶を見たことがないか。引けば下を向き、放せば上を向く。あれは人に引かれるものであって、人を引くものではない。だから上を向いたり下を向いたりしても、人から咎められることがない。だから三皇や五帝の礼儀や法度は、同じであることを誇ったのではなく、治まることを誇ったのだ。三皇や五帝の礼儀や法度をたとえるなら、ボケや梨や蜜柑や柚子のようなものだ。それぞれ味は正反対だが、どれも口に合う。
解説
跳ね釣瓶は、引かれれば下を向き、放されれば上を向く。自分から人を引っ張ろうとしないから、誰からも咎められない。この比喩が味わい深い一段です。そして本題は「同じであることを誇ったのではなく、治まることを誇った」という一句にあります。昔の聖王たちは、同じやり方を守ったのではなく、うまくいくことを目指した。だから時代ごとにやり方は違う。ボケも梨も蜜柑も柚子も、味は正反対なのに、どれも美味しい。正解は一つではないのです。一つの正解にこだわる人ほど、味の違いを間違いだと思ってしまいます。
この章句が説くこと
桔槔同じさより治まること正解は一つではない味は相反すれど徳治
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