荘子 / 天運
吾又奏之以無怠之聲,調之以自然之命,故若混逐叢生,林樂而無形;布揮而不曳,幽昏而無聲。動於無方,居於窈冥;或謂之死,或謂之生;或謂之實,或謂之榮;行流散徙,不主常聲。世疑之,稽於聖人。聖也者,達於情而遂於命也。天機不張而五官皆備,此之謂天樂,無言而心說。故有焱氏為之頌曰:『聽之不聞其聲,視之不見其形,充滿天地,苞裏六極。』汝欲聽之而無接焉,而故惑也。
新字:吾又奏之以無怠之声,調之以自然之命,故若混逐叢生,林楽而無形;布揮而不曳,幽昏而無声。動於無方,居於窈冥;或謂之死,或謂之生;或謂之実,或謂之栄;行流散徙,不主常声。世疑之,稽於聖人。聖也者,達於情而遂於命也。天機不張而五官皆備,此之謂天楽,無言而心説。故有焱氏為之頌曰:『聴之不聞其声,視之不見其形,充満天地,苞裏六極。』汝欲聴之而無接焉,而故惑也。
書き下し
吾又た之を奏するに無怠の声を以てし、之を調するに自然の命を以てす。故に混(こん)じ逐(お)い叢生(そうせい)するが若く、林楽(りんがく)にして形無く、布揮(ふき)して曳(ひ)かず、幽昏(ゆうこん)にして声無し。無方に動き、窈冥(ようめい)に居る。或いは之を死と謂い、或いは之を生と謂い、或いは之を実と謂い、或いは之を栄と謂う。行き流れ散り徙(うつ)り、常声を主とせず。世之を疑いて、聖人に稽(かんが)う。聖なる者は、情に達して命に遂(したが)う者なり。天機張らずして五官皆な備わる。此を之れ天楽と謂う。言無くして心説(よろこ)ぶ。故に有焱氏(ゆうえんし)之が頌を為して曰く、『之を聴けども其の声を聞かず、之を視れども其の形を見ず。天地に充満し、六極を苞裏(ほうり)す』と。汝之を聴かんと欲するも接する無し。而(すなわ)ち故に惑えるなり。
現代語訳
「私はまた、たゆまぬ音でそれを奏し、自然の命によってそれを調えた。だからそれは、入り混じり追いかけ合って群がり生えるようであり、林のざわめきのように形がなく、広がり散っても引きずらず、奥深く暗くて音がない。定まった方向なく動き、深く暗いところに居る。ある人はそれを死と呼び、ある人は生と呼び、ある人は実と呼び、ある人は花と呼ぶ。流れ、散り、移ろい、定まった音を持たない。世の人はこれを疑い、聖人に判断を仰ぐ。聖人とは、物事の実情に通じ、天命に従う者だ。天のからくりを張り巡らせなくても、五官のはたらきはすべて備わっている。これを『天楽』という。言葉がなくても、心が喜ぶのだ。だから有焱氏はこれを讃えて言った。『聴こうとしても、その音は聞こえない。見ようとしても、その形は見えない。しかし天地に満ちあふれ、宇宙の果てまで包み込んでいる』と。お前はそれを聴こうとしたが、掴みどころがなかった。だから訳が分からなくなったのだ」と。