荘子 / 天道
本在於上,末在於下;要在於主,詳在於臣。三軍、五兵之運,德之末也;賞罰利害,五刑之辟,教之末也;禮法度數,形名比詳,治之末也;鐘鼓之音,羽毛之容,樂之末也;哭泣衰絰,隆殺之服,哀之末也。此五末者,須精神之運,心術之動,然後從之者也。末學者,古人有之,而非所以先也。
新字:本在於上,末在於下;要在於主,詳在於臣。三軍、五兵之運,徳之末也;賞罰利害,五刑之辟,教之末也;礼法度数,形名比詳,治之末也;鐘鼓之音,羽毛之容,楽之末也;哭泣衰絰,隆殺之服,哀之末也。此五末者,須精神之運,心術之動,然後従之者也。末学者,古人有之,而非所以先也。
書き下し
本は上に在り、末は下に在り。要は主に在り、詳は臣に在り。三軍・五兵の運(うご)きは、徳の末なり。賞罰利害、五刑の辟(つみ)は、教の末なり。礼法度数、形名比詳は、治の末なり。鐘鼓の音、羽毛の容は、楽の末なり。哭泣(こっきゅう)衰絰(さいてつ)、隆殺(りゅうさい)の服は、哀の末なり。此の五末なる者は、精神の運、心術の動を須(ま)ちて、然る後に之に従う者なり。末学なる者は、古人も之れ有り。而れども先んずる所以に非ざるなり。
現代語訳
根本は上にあり、末端は下にある。要点は主君にあり、細目は臣下にある。軍隊や兵器の運用は、徳の末端である。賞罰や利害、五つの刑罰は、教化の末端である。礼や法や制度や数値、名目と実質の照合は、政治の末端である。鐘や太鼓の音、羽根飾りの装いは、音楽の末端である。泣き叫ぶことや喪服、その厚薄の区別は、哀しみの末端である。この五つの末端は、精神の働きと心のはたらきがあって初めて、それに従って生きてくるものだ。末端の学問は、昔の人も持ってはいた。しかし、それを先に立てることはなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荘子・天道故に《書》に曰く、「形有り名有り」と。形名なる者は、古人も之れ有り。而れども先んずる所以に非ざるなり。古の大道を語る者は、五たび変じて形名挙ぐべく、九たび変じて賞罰言うべきなり。驟(にわか)に形名を語るは、其の本を知らざるなり。驟に賞罰を語るは、其の始めを知らざるなり。道を倒(さかしま)にして言い、道に迕(さから)いて説く者は、人の治むる所なり。安くんぞ能く人を治めんや。驟に形名賞罰を語るは、此れ治の具を知る有るも、治の道を知るに非ざるなり。天下に用うべきも、以て天下を用うるに足らず。此を之れ辯士と謂う。一曲の人なり。礼法度数、形名比詳は、古人も之れ有り。此れ下の上に事うる所以にして、上の下を畜う所以に非ざるなり。
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荘子・天道是の故に古の大道に明らかなる者は、先ず天を明らかにして道徳之に次ぐ。道徳已に明らかにして仁義之に次ぐ。仁義已に明らかにして分守(ぶんしゅ)之に次ぐ。分守已に明らかにして形名之に次ぐ。形名已に明らかにして因任(いんにん)之に次ぐ。因任已に明らかにして原省(げんせい)之に次ぐ。原省已に明らかにして是非之に次ぐ。是非已に明らかにして賞罰之に次ぐ。賞罰已に明らかにして愚知宜(よろ)しきに処り、貴賤位を履(ふ)み、仁賢不肖情を襲(つ)ぐ。必ず其の能を分かち、必ず其の名に由る。此を以て上に事(つか)え、此を以て下を畜(やしな)い、此を以て物を治め、此を以て身を修む。知謀用いずして、必ず其の天に帰す。此を之れ太平と謂う。治の至りなり。
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文子・下德老子曰く、身を治むるは、太上は神を養い、其の次は形を養う。神清く意平らかにして、百節皆寧きは、養生の本なり。肌膚を肥やし、腹腸を充たし、嗜欲を供するは、養生の末なり。国を治むるは、太上は化を養い、其の次は法を正す。民交ごも譲りて争いて卑きに処り、財利争いて受くること少なく、事力争いて労に就き、日に上に化して善に遷り、其の然る所以を知らざるは、治の本なり。利して賞して善を勧め、刑を畏れて敢えて非を為さず、法令上に正しくして、百姓下に服するは、治の末なり。上世は本を養い、下世は末を事とす。
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文子・上義老子曰く、凡そ学ぶ者は、天人の分に明らかに、治乱の本に通じ、心を澄まし意を清くして之を存し、其の終始を見て其の虚無に反れば、達すと謂う可し。治の本は仁義なり、其の末は法度なり。人の生ずる所の者は本なり、其の生ぜざる所の者は末なり、本末は一体なり、其れ両つながら之を愛するは性なり、本を先にし末を後にするを之を君子と謂い、末を先にし本を後にするを之を小人と謂う。法の生ずるや、以て義を輔くるなり、法を重んじ義を棄つるは、是れ其の冠履を貴びて其の首足を忘るるなり。仁義を重んずる者は、広く崇くするなり、其の厚きを益さずして其の広きを張る者は毀れ、其の基を広くせずして其の高きを増す者は覆る、故に其の棟を大にせざれば、重きに任う能わず、重きに任うるは棟に若くは莫く、国に任うるは徳に若くは莫し。人主の民を有つは、猶お城中の基有り、木の根有るがごとし、根深ければ即ち本固く、基厚ければ即ち上安し。故に事の道徳に本づかざる者は、以て経と為す可からず、言の先王に合わざる者は、以て道と為す可からず、便説掇取し、一行一切の術は、天下の通道に非ざるなり。
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荘子・天地天地は大なりと雖も、其の化は均(ひと)しきなり。万物は多しと雖も、其の治は一なり。人卒(じんそつ)は衆(おお)しと雖も、其の主は君なり。君は徳に原(もと)づきて天に成る。故に曰く、玄古(げんこ)の天下に君たるは、無為なり、天徳のみ、と。道を以て言を観れば而ち天下の君正し。道を以て分を観れば而ち君臣の義明らかなり。道を以て能を観れば而ち天下の官治まる。道を以て汎(ひろ)く観れば而ち万物の応備わる。故に天地に通ずる者は、徳なり。万物に行わるる者は、道なり。上(かみ)人を治むる者は、事なり。能(よ)く芸(げい)する所有る者は、技なり。技は事に兼ねられ、事は義に兼ねられ、義は徳に兼ねられ、徳は道に兼ねられ、道は天に兼ねらる。故に曰く、「古の天下を畜(やしな)う者は、無欲にして天下足り、無為にして万物化し、淵静(えんせい)にして百姓(ひゃくせい)定まる」と。記に曰く、「一に通じて万事畢(お)わり、無心にして得れば鬼神も服す」と。
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『淮南子』泰族訓凡そ學ぶ者 能く天下の分に明らかに、治亂の本に通じ、心を澄まし意を清くして以て之を存し、其の終始を見れば、略を知ると謂う可し。天の爲す所は、禽獸草木なり。人の爲す所は、禮節制度なり。構えて宮室と爲し、制して舟輿と爲すは是れなり。治の本と爲す所以の者は、仁義なり。末と爲す所以の者は、法度なり。凡そ人の生を事とする所以の者は、本なり。其の死を事とする所以の者は、末なり。
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