荘子 / 天地
有間,為圃者曰:「子奚為者邪?」曰:「孔丘之徒也。」為圃者曰:「子非夫博學以擬聖,於于以蓋眾,獨弦哀歌以賣名聲於天下者乎?汝方將忘汝神氣,墮汝形骸,而庶幾乎!而身之不能治,而何暇治天下乎?子往矣,無乏吾事!
新字:有間,為圃者曰:「子奚為者邪?」曰:「孔丘之徒也。」為圃者曰:「子非夫博学以擬聖,於于以蓋衆,独弦哀歌以売名声於天下者乎?汝方将忘汝神気,堕汝形骸,而庶幾乎!而身之不能治,而何暇治天下乎?子往矣,無乏吾事!
書き下し
間有りて、圃を為す者曰く、「子は奚(なに)を為す者か」と。曰く、「孔丘の徒なり」と。圃を為す者曰く、「子は夫の博学以て聖に擬し、於于(うう)として以て衆に蓋(か)ぶり、独り弦して哀歌し、以て名声を天下に売る者に非ずや。汝は方に将に汝の神気を忘れ、汝の形骸を堕(お)とさば、而ち庶幾(ちか)からんか。而(なんじ)の身すら之れ治むる能わず、而るに何ぞ天下を治むるに暇あらんや。子往け。吾が事を乏(そこな)う無かれ」と。
現代語訳
しばらくして、畑の老人が言った。「あなたは何をしている人かね」。「孔丘の弟子です」。老人は言った。「あなたは、あの博学ぶって聖人を気取り、大言壮語で人を圧倒し、一人で弦を鳴らして悲しげに歌い、そうやって天下に名声を売り歩いている連中の一人ではないのか。あなたはまず、自分の気力を忘れ、自分の体を落とし去りなさい。そうすればいくらか道に近づくだろう。自分の身すら治められないのに、どうして天下を治める暇があるのか。行きなさい。私の仕事の邪魔をしないでいただきたい」。
解説
老人の第二撃です。名声を売り歩く連中の一人ではないか、と決めつけ、そして急所を突きます。「自分の身すら治められないのに、どうして天下を治める暇があるのか」。これは荘子が何度も繰り返すテーマですが、ここでは畑仕事をする一介の老人の口から出てくるところが効いています。学問をし、世を語り、人を導こうとする。しかしその前に、自分自身が定まっているのか。私たちも、他人や状況について語る言葉は溢れるほど持っていながら、自分のこととなると手つかずのままです。まず自分を治める。その順序は、誰から言われても変わりません。
この章句が説くこと
而身之不能治名声を売るまず自分を治める足元
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