荘子 / 天地
黃帝遊乎赤水之北,登乎崑崙之丘而南望,還歸,遺其玄珠,使知索之而不得,使離朱索之而不得,使喫詬索之而不得也。乃使象罔,象罔得之。黃帝曰:「異哉!象罔乃可以得之乎?」
新字:黄帝遊乎赤水之北,登乎崑崙之丘而南望,還歸,遺其玄珠,使知索之而不得,使離朱索之而不得,使喫詬索之而不得也。乃使象罔,象罔得之。黄帝曰:「異哉!象罔乃可以得之乎?」
書き下し
黄帝赤水の北に遊び、崑崙の丘に登りて南望す。還り帰るに、其の玄珠(げんしゅ)を遺(うしな)えり。知(ち)をして之を索(もと)めしむるも得ず、離朱をして之を索めしむるも得ず、喫詬(きっこう)をして之を索めしむるも得ざるなり。乃ち象罔(しょうもう)をして索めしむるに、象罔之を得たり。黄帝曰く、「異なるかな。象罔は乃ち以て之を得べきか」と。
現代語訳
黄帝が赤水の北に遊び、崑崙の丘に登って南を眺めた。帰り道で、大切な黒い珠を落としてしまった。「知」に探させたが見つからない。目のよい「離朱」に探させたが見つからない。弁の立つ「喫詬」に探させたが見つからない。そこで「象罔(かたちなきもの)」に探させたところ、象罔はそれを見つけた。黄帝は言った。「不思議なことだ。象罔にこそ、それが見つけられるのか」と。
解説
わずか数行の、しかし忘れがたい寓話です。黒い珠は、道の象徴とされます。それを知恵者も、目の鋭い者も、弁の立つ者も見つけられない。見つけたのは「象罔」、つまり形もなく、はっきりしないものでした。分析でも、観察でも、議論でも掴めないものがある。むしろ、掴もうとしない者にこそ、それは見つかるのです。私たちは何かを見つけようとする時、知識を総動員し、目を凝らし、言葉で問い詰めます。しかし本当に大事なものは、力んで探すほど遠ざかる。ぼんやりと歩いている時、ふと見つかる。そういう経験は、誰にでもあるはずです。