荘子 / 在宥
何謂道?有天道,有人道。無為而尊者,天道也;有為而累者,人道也。主者,天道也;臣者,人道也。天道之與人道也,相去遠矣,不可不察也。
新字:何謂道?有天道,有人道。無為而尊者,天道也;有為而累者,人道也。主者,天道也;臣者,人道也。天道之与人道也,相去遠矣,不可不察也。
書き下し
何をか道と謂う。天道有り、人道有り。無為にして尊き者は、天道なり。有為にして累(わずら)わしき者は、人道なり。主なる者は、天道なり。臣なる者は、人道なり。天道と人道とは、相去ること遠し。察せざるべからざるなり。
現代語訳
何を道と呼ぶのか。天の道があり、人の道がある。何もしないでいて尊いもの、それが天の道である。あれこれ手を出して煩わしいもの、それが人の道である。主人となるもの、それが天の道である。家臣となるもの、それが人の道である。天の道と人の道とは、遠く隔たっている。よく見きわめなければならない。
解説
在宥篇を締めくくる、簡潔で力強い一段です。天の道は何もしないで尊く、人の道はあれこれ手を出して煩わしい。そして決定的なのは、天の道が主人であり、人の道が家臣だという序列です。人為は、あくまで従属的なものにすぎない。この順序を間違えると、すべてが狂います。経営でいえば、事業には自然な流れがあり、その流れが主人です。施策や制度は、その流れに仕える家臣にすぎません。ところが多くの場合、決まりが主人になり、本来やりたかったことがそれに合わせて歪んでいきます。数字を達成するために目的を見失い、手続きを守るために中身を犠牲にする。主人と家臣を取り違えていないか。この短い一段は、そう問いかけてきます。
この章句が説くこと
天道と人道主と臣順序を間違えない人為は従属的天道人道
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