荘子 / 在宥
大人之教,若形之於影,聲之於響。有問而應之,盡其所懷,為天下配。處乎無響,行乎無方。挈汝適復之撓撓,以遊無端,出入無旁,與日無始,頌論形軀,合乎大同,大同而無己。無己,惡乎得有有!睹有者,昔之君子;睹無者,天地之友。
新字:大人之教,若形之於影,声之於響。有問而応之,尽其所懐,為天下配。処乎無響,行乎無方。挈汝適復之撓撓,以遊無端,出入無旁,与日無始,頌論形躯,合乎大同,大同而無己。無己,悪乎得有有!睹有者,昔之君子;睹無者,天地之友。
書き下し
大人(たいじん)の教は、形の影に於けるが若く、声の響に於けるが若し。問い有りて之に応じ、其の懐(おも)う所を尽くし、天下の配と為る。無響に処り、無方に行う。汝を挈(たずさ)えて適復(てきふく)の撓撓(じょうじょう)たるに適き、以て無端に遊び、出入して旁(かたわら)無し。日と与に始め無し。頌論(しょうろん)形躯、大同に合す。大同にして己無し。己無くんば、悪くんぞ有を有つを得んや。有を睹(み)る者は、昔の君子なり。無を睹る者は、天地の友なり。
現代語訳
偉大な人の教えは、体に対する影のようであり、声に対する響きのようである。問われれば応じ、思うところを尽くし、天下の相手役となる。音のないところに身を置き、定まった方角のないところを行く。あなたの手を取って、行きつ戻りつ揺れ動くところへ導き、果てのないところに遊び、出入りに定まった側面もない。日とともに、始まりがない。姿かたちを論じ語れば、大いなる同一に合致する。大いなる同一の中では、自分というものがない。自分がなければ、どうして何かを所有できようか。「有る」ものを見る者は、昔の君子である。「無い」ものを見る者は、天地の友である。
解説
「大人の教は、形の影に於けるが若し」。偉大な人の教えは、体に影が付き従うように、声に響きが返るように、自然なものだ、という比喩が印象的です。押し付けず、先回りせず、問われたら応じる。影は体より先に動きません。響きは声より先に鳴りません。これが教えることの理想形です。私たちは往々にして、聞かれてもいないことを教えたがります。先回りして答えを与え、相手が考える機会を奪います。影のように、響きのように。求められた時に、求められた分だけ返す。そして「無い」ものを見る者こそ天地の友だという結び。目に見える成果ばかりを追わず、まだ形になっていないものを見る目を持つこと。教育も経営も、そこに懸かっています。
この章句が説くこと
大人の教影と響き先回りしない無を睹る
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