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荘子 / 馬蹄

夫馬,陸居則食草飲水,喜則交頸相靡,怒則分背相踶。馬知已此矣。夫加之以衡扼,齊之以月題,而馬知介倪、闉扼、鷙曼、詭銜、竊轡。故馬之知而態至盜者,伯樂之罪也。夫赫胥氏之時,民居不知所為,行不知所之,含哺而熙,鼓腹而遊,民能以此矣。及至聖人,屈折禮樂以匡天下之形,縣跂仁義以慰天下之心,而民乃始踶跂好知,爭歸於利,不可止也。此亦聖人之過也。

新字:夫馬,陸居則食草飲水,喜則交頸相靡,怒則分背相踶。馬知已此矣。夫加之以衡扼,斉之以月題,而馬知介倪、闉扼、鷙曼、詭銜、竊轡。故馬之知而態至盗者,伯楽之罪也。夫赫胥氏之時,民居不知所為,行不知所之,含哺而熙,鼓腹而遊,民能以此矣。及至聖人,屈折礼楽以匡天下之形,県跂仁義以慰天下之心,而民乃始踶跂好知,争歸於利,不可止也。此亦聖人之過也。

書き下し

夫れ馬は、陸に居れば則ち草を食い水を飲み、喜べば則ち頸を交えて相靡(あいび)し、怒れば則ち背を分かちて相踶(あいてい)す。馬の知は已に此に此(とど)まる。夫れ之に加うるに衡扼(こうやく)を以てし、之を斉うるに月題(げつだい)を以てすれば、而ち馬は介倪(かいげい)・闉扼(いんやく)・鷙曼(しまん)・詭銜(きかん)・竊轡(せつひ)を知る。故に馬の知にして態(さま)の盗に至る者は、伯楽の罪なり。夫れ赫胥氏(かくしょし)の時、民は居りて為す所を知らず、行きて之く所を知らず。哺(ほ)を含みて熙(たの)しみ、腹を鼓して遊ぶ。民の能は此を以てせり。聖人に至るに及びて、礼楽に屈折して以て天下の形を匡(ただ)し、仁義を県跂(けんき)して以て天下の心を慰め、而して民乃ち始めて踶跂して知を好み、争いて利に帰し、止むべからず。此れ亦た聖人の過ちなり。

現代語訳

馬は、野に住めば草を食べ水を飲む。喜べば首を寄せ合ってこすり合い、怒れば背を向け合って蹴り合う。馬の知恵は、それだけで足りていた。ところが轡や軛をつけ、額飾りで飾り立てると、馬は轅を折り、軛を外し、幌を破り、轡を吐き出し、手綱をくすねることを覚える。つまり馬が知恵を働かせて盗人のような真似をするようになったのは、伯楽の罪なのだ。かつて赫胥氏の時代、人々は家にいても何をすべきか考えず、出かけてもどこへ行くとも決めていなかった。食べ物を口に含んで楽しみ、腹を叩いて遊んでいた。人々の能力は、それだけで十分だった。ところが聖人が現れると、礼楽で身をかがめさせて天下の姿を正し、仁義を高く掲げて天下の心を慰めようとした。そこで人々は初めて爪先立ちして知恵を求め、争って利益に走り、それが止まらなくなった。これもまた、聖人の過ちなのだ。

解説

馬が悪知恵を働かせるようになったのは、伯楽が轡をつけたからだ。この因果の指摘が本質を突いています。人が抜け道を探し、規則をごまかすようになるのは、その人が悪いからではなく、縛りつけたからだ、と。管理を強めれば強めるほど、それをかいくぐる知恵が発達します。監視を増やせば、監視を逃れる技術が生まれる。これは組織で日々起きていることです。そして後半、聖人が仁義を高く掲げたことで、人々は爪先立ちして知恵を求め、利益を争うようになった。理想を高く掲げれば掲げるほど、それに届こうと背伸びし、競争が生まれる。管理も理想も、掲げた側が想像しなかった副作用を生みます。

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