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荘子 / 馬蹄

吾意善治天下者不然。彼民有常性,織而衣,耕而食,是謂同德;一而不黨,命曰天放。故至德之世,其行填填,其視顛顛。當是時也,山無蹊隧,澤無舟梁;萬物群生,連屬其鄉;禽獸成群,草木遂長。是故禽獸可係羈而遊,烏鵲之巢可攀援而闚。夫至德之世,同與禽獸居,族與萬物並,惡乎知君子小人哉!同乎無知,其德不離;同乎無欲,是謂素樸。素樸而民性得矣。及至聖人,蹩躠為仁,踶跂為義,而天下始疑矣;澶漫為樂,摘僻為禮,而天下始分矣。故純樸不殘,孰為犧尊!白玉不毀,孰為珪璋!道德不廢,安取仁義!性情不離,安用禮樂!五色不亂,孰為文采!五聲不亂,孰應六律!夫殘樸以為器,工匠之罪也;毀道德以為仁義,聖人之過也。

新字:吾意善治天下者不然。彼民有常性,織而衣,耕而食,是謂同徳;一而不党,命曰天放。故至徳之世,其行填填,其視顛顛。当是時也,山無蹊隧,沢無舟梁;万物群生,連属其鄉;禽獣成群,草木遂長。是故禽獣可係羈而遊,烏鵲之巣可攀援而闚。夫至徳之世,同与禽獣居,族与万物並,悪乎知君子小人哉!同乎無知,其徳不離;同乎無欲,是謂素樸。素樸而民性得矣。及至聖人,蹩躠為仁,踶跂為義,而天下始疑矣;澶漫為楽,摘僻為礼,而天下始分矣。故純樸不残,孰為犠尊!白玉不毀,孰為珪璋!道徳不廃,安取仁義!性情不離,安用礼楽!五色不乱,孰為文采!五声不乱,孰応六律!夫残樸以為器,工匠之罪也;毀道徳以為仁義,聖人之過也。

書き下し

吾が意(おも)うに、善く天下を治むる者は然らず。彼の民に常性有り。織りて衣(き)、耕して食らう。是を同徳と謂う。一にして党せず、命(な)づけて天放(てんぽう)と曰う。故に至徳の世は、其の行は填填(てんてん)、其の視は顛顛(てんてん)たり。是の時に当たるや、山に蹊隧(けいすい)無く、沢に舟梁(しゅうりょう)無し。万物群生して、其の郷に連属す。禽獣は群を成し、草木は遂(の)び長ず。是の故に禽獣は羈(つな)ぎて遊ぶべく、烏鵲(うじゃく)の巣は攀援(はんえん)して闚(うかが)うべし。夫れ至徳の世は、同じく禽獣と居り、族(とも)に万物と並ぶ。悪(いず)くんぞ君子小人を知らんや。無知に同じくして、其の徳離れず。無欲に同じくして、是を素樸(そぼく)と謂う。素樸にして民の性得たり。聖人に至るに及びて、蹩躠(べっせつ)として仁を為し、踶跂(ていき)として義を為して、天下始めて疑う。澶漫(たんまん)として楽を為し、摘僻(てきへき)として礼を為して、天下始めて分かる。故に純樸(じゅんぼく)残(そこな)われずんば、孰(たれ)か犠尊(ぎそん)を為さん。白玉毀(やぶ)られずんば、孰か珪璋(けいしょう)を為さん。道徳廃せられずんば、安(いず)くんぞ仁義を取らん。性情離れずんば、安くんぞ礼楽を用いん。五色乱れずんば、孰か文采(ぶんさい)を為さん。五声乱れずんば、孰か六律に応ぜん。夫れ樸を残いて以て器と為すは、工匠の罪なり。道徳を毀ちて以て仁義と為すは、聖人の過ちなり。

現代語訳

私が思うに、本当にうまく天下を治める者は、そうではない。人々には生まれつきの本性がある。機を織って着物を着、田を耕して食べる。これを「共通の徳」という。一つにまとまっていて徒党を組まない。これを「天から放たれた自由」と呼ぶ。だから最高の徳が行われていた世では、人々の歩みはゆったりとし、まなざしは真っ直ぐだった。その時代には、山に道もトンネルもなく、沢に舟も橋もなかった。万物は群れをなして生き、それぞれの場所でつながっていた。鳥や獣は群れをなし、草木は伸び伸びと育った。だから鳥獣に縄をつけて一緒に遊ぶこともでき、カササギの巣によじ登って覗くこともできた。最高の徳が行われていた世では、人は鳥獣とともに暮らし、万物と並んで生きていた。どうして君子と小人の区別など知ろうか。みな等しく無知であり、だから徳が離れることがなかった。みな等しく無欲であり、これを「素朴」という。素朴であってこそ、人々の本性は全うされたのだ。ところが聖人が現れると、よろよろと仁を行い、爪先立ちで義を行った。そこで天下は疑い始めた。だらだらと音楽を作り、こまごまと礼を作った。そこで天下は分裂し始めた。そもそも、素朴な原木が損なわれなければ、誰が儀式用の酒器など作ろうか。白い玉が砕かれなければ、誰が玉の礼器など作ろうか。道徳が捨てられなければ、どうして仁義など持ち出そうか。本来の性情が離れなければ、どうして礼楽など要ろうか。五色が乱れなければ、誰が模様など作ろうか。五声が乱れなければ、誰が音律に合わせようか。素朴な原木を損なって道具を作るのは、職人の罪だ。道徳を壊して仁義を作るのは、聖人の過ちだ。

解説

理想の世を、あえて「みな等しく無知で無欲だった」と描く一段です。誰も君子と小人を区別しない。区別する必要がなかったからです。荘子の論理は明快で、仁義が必要になったのは、道徳が失われたからだ、と。素朴な原木が損なわれなければ、誰も酒器を作ろうとは思わない。つまり、何かを「作る」ことは、何かを「壊す」ことなのです。ここには、制度や規範に対する根本的な懐疑があります。理念を掲げなければならないのは、それが失われつつあるからではないか。ルールを作らねばならないのは、信頼が壊れつつあるからではないか。制度を増やす前に、なぜそれが必要になったのかを問う。その視点を、この一段は与えてくれます。

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