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荘子 / 駢拇

且夫待鉤繩規矩而正者,是削其性;待繩約膠漆而固者,是侵其德也;屈折禮樂,呴俞仁義,以慰天下之心者,此失其常然也。天下有常然。常然者,曲者不以鉤,直者不以繩,圓者不以規,方者不以矩,附離不以膠漆,約束不以纆索。故天下誘然皆生,而不知其所以生;同焉皆得,而不知其所以得。故古今不二,不可虧也。則仁義又奚連連如膠漆纆索,而遊乎道德之間為哉?使天下惑也!夫小惑易方,大惑易性。何以知其然邪?自虞氏招仁義以撓天下也,天下莫不奔命於仁義,是非以仁義易其性與?

新字:且夫待鉤繩規矩而正者,是削其性;待繩約膠漆而固者,是侵其徳也;屈折礼楽,呴俞仁義,以慰天下之心者,此失其常然也。天下有常然。常然者,曲者不以鉤,直者不以繩,円者不以規,方者不以矩,附離不以膠漆,約束不以纆索。故天下誘然皆生,而不知其所以生;同焉皆得,而不知其所以得。故古今不二,不可虧也。則仁義又奚連連如膠漆纆索,而遊乎道徳之間為哉?使天下惑也!夫小惑易方,大惑易性。何以知其然邪?自虞氏招仁義以撓天下也,天下莫不奔命於仁義,是非以仁義易其性与?

書き下し

且つ夫れ鉤縄規矩(こうじょうきく)を待ちて正しき者は、是れ其の性を削るなり。縄約膠漆(じょうやくこうしつ)を待ちて固き者は、是れ其の徳を侵すなり。礼楽に屈折し、仁義に呴俞(くゆ)して、以て天下の心を慰むる者は、此れ其の常然(じょうぜん)を失うなり。天下に常然有り。常然なる者は、曲がれる者は鉤を以てせず、直き者は縄を以てせず、円なる者は規を以てせず、方なる者は矩を以てせず、附離(ふり)するに膠漆を以てせず、約束するに纆索(ぼくさく)を以てせず。故に天下は誘然(ゆうぜん)として皆な生じて、而も其の生ずる所以を知らず。同じく焉(ここ)に皆な得て、而も其の得る所以を知らず。故に古今二ならず、虧(か)くべからざるなり。則ち仁義は又た奚(なん)ぞ連連として膠漆纆索の如く、而して道徳の間に遊ぶを為さんや。天下をして惑わしむるなり。夫れ小惑は方を易(か)え、大惑は性を易う。何を以て其の然るを知るか。虞氏(ぐし)の仁義を招きて以て天下を撓(みだ)してより、天下は仁義に奔命(ほんめい)せざる莫し。是れ仁義を以て其の性を易うるに非ざるか。

現代語訳

そもそも、曲尺や墨縄やコンパスや定規を当てて初めて正しくなるようなものは、その本性を削っているのだ。縄や糊や漆で固めて初めてしっかりするようなものは、その徳を侵しているのだ。礼楽で身をかがめさせ、仁義で機嫌を取って天下の心を慰めようとするのは、本来の自然なあり方を失わせることだ。天下には、本来の自然なあり方がある。自然なあり方とは、曲がっているものは曲尺を使わずに曲がり、真っ直ぐなものは墨縄を使わずに真っ直ぐであり、円いものはコンパスを使わずに円く、四角いものは定規を使わずに四角い。くっつくのに糊や漆は要らず、結ばれるのに縄は要らない。だから天下のあらゆるものは、誘われるようにみな生まれてきて、しかもなぜ生まれたのかを知らない。等しくみな何かを得ていて、しかもなぜ得たのかを知らない。だから昔も今も変わることがなく、欠けることもない。それなのに、仁義がべたべたと糊や漆や縄のようにまとわりついて、道徳の間をうろつく必要がどこにあろうか。天下を惑わせるだけだ。小さな惑いは方向を変えるだけだが、大きな惑いは本性そのものを変えてしまう。なぜそう言えるのか。舜が仁義を掲げて天下をかき乱して以来、天下の人々はみな仁義に向かって走り出した。これこそ、仁義によって本性を変えられてしまったということではないか。

解説

道具を当てて初めて正しくなるものは、本性を削られている。荘子のこの指摘は鋭利です。円いものはコンパスなしに円く、真っ直ぐなものは墨縄なしに真っ直ぐ。本来そうであるものに、道具は要らないのです。ここで問われているのは、外から与えられる基準の存在意義です。それは本来の姿を引き出しているのか、それとも削って型にはめているのか。「小惑は方を易え、大惑は性を易う」という一句が決定的です。小さな惑いは進む方向を変えるだけだが、大きな惑いは人の本性そのものを変えてしまう。正しさで人を作り変えようとすることの怖さを、これほど鋭く言った言葉はありません。

この一句を、あなたの毎日に。

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