荘子 / 応帝王
無為名尸,無為謀府,無為事任,無為知主。體盡無窮,而遊無朕,盡其所受於天,而無見得,亦虛而已。至人之用心若鏡,不將不迎,應而不藏,故能勝物而不傷。
新字:無為名尸,無為謀府,無為事任,無為知主。体尽無窮,而遊無朕,尽其所受於天,而無見得,亦虚而已。至人之用心若鏡,不将不迎,応而不蔵,故能勝物而不傷。
書き下し
名の尸(しかばね)と為る無かれ。謀(はかりごと)の府と為る無かれ。事の任と為る無かれ。知の主と為る無かれ。無窮を体し尽くして、朕(きざし)無きに遊ぶ。其の天に受くる所を尽くして、得るを見(あら)わす無し。亦た虚のみ。至人の心を用うるは鏡の若し。将(おく)らず迎えず、応じて蔵せず。故に能く物に勝ちて傷つかず。
現代語訳
名声の抜け殻となってはならない。策謀の倉庫となってはならない。事業の請負人となってはならない。知恵の主人となってはならない。果てしないものをそのまま体現し尽くし、痕跡を残さないところに遊ぶ。天から受けたものを尽くし切って、得たものを見せびらかさない。ただ、虚ろであるだけだ。至人の心の使い方は、鏡のようである。去るものを送らず、来るものを迎えず、ありのままに映すが、その像を蓄えない。だからこそ、あらゆるものに応じきりながら、自分は傷つかないのだ。
解説
「至人之用心若鏡」という、荘子で最も引用される一句を含む一段です。鏡は、目の前に来たものをそのまま映します。しかし去っていくものを引き止めず、来るものを迎えにも行かず、映した像を溜め込みません。だから何を映しても、鏡自体は傷つかない。ここに、消耗しない働き方の核心があります。私たちが疲れるのは、出来事そのものではなく、それを溜め込むからです。終わった商談を反芻し、来てもいない不安を先取りする。鏡はそれをしません。冒頭の四つの戒めも痛烈で、名声の抜け殻、策謀の倉庫、事業の請負人、知恵の主人。どれも私たちがなりがちな姿です。映して、手放す。それだけで、驚くほど軽くなります。
この章句が説くこと
至人之用心若鏡不将不迎応而不蔵消耗しない心
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