荘子 / 大宗師
古之真人,不知說生,不知惡死;其出不訢,其入不距;翛然而往,翛然而來而已矣。不忘其所始,不求其所終;受而喜之,忘而復之。是之謂不以心捐道,不以人助天。是之謂真人。若然者,其心志,其容寂,其顙頯,淒然似秋,煖然似春,喜怒通四時,與物有宜,而莫知其極。故聖人之用兵也,亡國而不失人心;利澤施於萬物,不為愛人。故樂通物,非聖人也;有親,非仁也;天時,非賢也;利害不通,非君子也;行名失己,非士也;亡身不真,非役人也。若狐不偕、務光、伯夷、叔齊、箕子胥餘、紀他、申徒狄,是役人之役,適人之適,而不自適其適者也。
新字:古之真人,不知説生,不知悪死;其出不訢,其入不距;翛然而往,翛然而来而已矣。不忘其所始,不求其所終;受而喜之,忘而復之。是之謂不以心捐道,不以人助天。是之謂真人。若然者,其心志,其容寂,其顙頯,淒然似秋,煖然似春,喜怒通四時,与物有宜,而莫知其極。故聖人之用兵也,亡国而不失人心;利沢施於万物,不為愛人。故楽通物,非聖人也;有親,非仁也;天時,非賢也;利害不通,非君子也;行名失己,非士也;亡身不真,非役人也。若狐不偕、務光、伯夷、叔斉、箕子胥余、紀他、申徒狄,是役人之役,適人之適,而不自適其適者也。
書き下し
古の真人は、生を説(よろこ)ぶを知らず、死を悪(にく)むを知らず。其の出づるや訢(よろこ)ばず、其の入るや距(こば)まず。翛然(しゅくぜん)として往き、翛然として来たるのみ。其の始まる所を忘れず、其の終わる所を求めず。受けて之を喜び、忘れて之に復(かえ)る。是を之れ心を以て道を捐(す)てず、人を以て天を助けずと謂う。是を之れ真人と謂う。若の若き者は、其の心は志(と)まり、其の容は寂、其の顙(ひたい)は頯(かい)たり。淒然(せいぜん)として秋に似、煖然(だんぜん)として春に似たり。喜怒は四時に通じ、物と宜(よろ)しき有りて、其の極を知る莫し。故に聖人の兵を用うるや、国を亡ぼして人心を失わず。利沢(りたく)は万物に施すも、人を愛すと為さず。故に物に通ずるを楽しむは、聖人に非ざるなり。親しむ有るは、仁に非ざるなり。天時なるは、賢に非ざるなり。利害通ぜざるは、君子に非ざるなり。名を行いて己を失うは、士に非ざるなり。身を亡ぼして真ならざるは、人を役(えき)する者に非ざるなり。狐不偕(こふかい)・務光(むこう)・伯夷・叔斉・箕子胥余(きししょよ)・紀他(きた)・申徒狄(しんとてき)の若きは、是れ人の役に役し、人の適(てき)に適して、自ら其の適に適せざる者なり。
現代語訳
昔の真人は、生を喜ぶことも知らず、死を憎むことも知らなかった。この世に出てくることを喜ばず、この世を去ることを拒まない。ふわりと去り、ふわりと来るだけだ。自分がどこから来たかを忘れず、どこへ行き着くかを求めない。与えられたものを喜んで受け取り、それを忘れて元に返す。これを「心で道を捨てず、人為で天を助けない」という。これを真人と呼ぶ。そういう人は、心が静かに定まり、姿は静けさに満ち、額は広くゆったりとしている。冷ややかなことは秋のようであり、温かなことは春のようだ。喜びも怒りも四季のように自然に巡り、あらゆるものと調和して、その限界を誰も知ることができない。だから聖人が兵を用いる時は、国を滅ぼしても人心を失わない。恵みを万物に施しても、人を愛しているとは思わない。だから、物事に通じることを楽しむ者は、聖人ではない。特定の者に親しむのは、仁ではない。時勢に乗るだけの者は、賢者ではない。利害を見通せない者は、君子ではない。名声のために自分を失う者は、士ではない。身を滅ぼして真実でない者は、人を導く者ではない。狐不偕、務光、伯夷、叔斉、箕子胥余、紀他、申徒狄といった人々は、他人の仕事に使われ、他人の満足に合わせて、自分自身の満足を満たさなかった者たちである。