荘子 / 大宗師
古之真人,其寢不夢,其覺無憂,其食不甘,其息深深。真人之息以踵,眾人之息以喉。屈服者,其嗌言若哇。其耆欲深者,其天機淺。
新字:古之真人,其寝不夢,其覚無憂,其食不甘,其息深深。真人之息以踵,衆人之息以喉。屈服者,其嗌言若哇。其耆欲深者,其天機浅。
書き下し
古の真人は、其の寝ぬるや夢みず、其の覚むるや憂い無し。其の食らうや甘(うま)しとせず、其の息するや深深たり。真人の息は踵(かかと)を以てし、衆人の息は喉を以てす。屈服する者は、其の嗌言(あいげん)哇(か)するが若し。其の耆欲(しよく)深き者は、其の天機浅し。
現代語訳
昔の真人は、眠っても夢を見ず、目覚めても憂いがない。食事に美味を求めず、その呼吸は深々としている。真人の呼吸はかかとまで届き、凡人の呼吸は喉で止まる。人に屈服している者は、そのしゃべり方が喉に詰まって吐き出すようだ。欲望の深い者は、天から与えられた働きが浅い。
解説
真人の身体的な特徴を描いた、印象深い一段です。夢を見ないのは、昼間に心を騒がせていないから。目覚めて憂いがないのは、抱え込んでいないから。そして「真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす」。深い呼吸は、心の深さと直結しています。焦っている人、追い詰められている人の呼吸は、確かに浅く速い。心の状態は、呼吸に正直に出るのです。最後の「欲望の深い者は、天機が浅い」も鋭い。欲しいものが多いほど、本来備わっている力は発揮されない。欲に振り回されている間、その人の本領は眠ったままです。まず呼吸を深くする。それは精神論ではなく、心を整える最も具体的な入口です。
この章句が説くこと
真人之息以踵呼吸と心耆欲深者天機浅心の深さ
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