荘子 / 大宗師
何謂真人?古之真人,不逆寡,不雄成,不謨士。若然者,過而弗悔,當而不自得也。若然者,登高不慄,入水不濡,入火不熱。是知之能登假於道也若此。
新字:何謂真人?古之真人,不逆寡,不雄成,不謨士。若然者,過而弗悔,当而不自得也。若然者,登高不慄,入水不濡,入火不熱。是知之能登仮於道也若此。
書き下し
何をか真人と謂う。古の真人は、寡(か)に逆らわず、成るに雄たらず、士を謨(はか)らず。若(かく)の若き者は、過ちて悔いず、当たりて自得せざるなり。若の若き者は、高きに登りて慄(おそ)れず、水に入りて濡れず、火に入りて熱からず。是れ知の能く道に登假(とうか)すること此の若きなり。
現代語訳
真の人とは何か。昔の真人は、少ないものを退けず、成功しても威張らず、策を巡らして人を集めることもしなかった。そういう人は、過ちを犯しても悔やまず、うまくいっても得意にならない。そういう人は、高いところに登っても震えず、水に入っても濡れず、火に入っても熱がらない。知がここまで道の高みに達すると、このようになるのだ。
解説
真人の定義が始まる一段です。まず挙げられるのが「過ちて悔いず、当たりて自得せず」。失敗しても悔やまず、成功しても得意にならない。これは無責任なのではなく、成否に心を揺さぶられないということです。私たちは失敗すれば何日も引きずり、成功すれば舞い上がります。そのたびに、次の判断が歪む。過ぎたことを引きずらず、うまくいったことに酔わない。これができれば、判断の精度は格段に上がります。「水に入っても濡れず」は誇張ですが、心が状況に染まらないことの比喩と読めます。境遇が変わっても、自分は変わらない。それが真人の姿です。
この章句が説くこと
真人過而弗悔当而不自得成否に染まらない
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