荘子 / 大宗師
知天之所為,知人之所為者,至矣。知天之所為者,天而生也;知人之所為者,以其知之所知,以養其知之所不知,終其天年而不中道夭者,是知之盛也。雖然,有患。夫知有所待而後當,其所待者特未定也。庸詎知吾所謂天之非人乎?所謂人之非天乎?且有真人,而後有真知。
新字:知天之所為,知人之所為者,至矣。知天之所為者,天而生也;知人之所為者,以其知之所知,以養其知之所不知,終其天年而不中道夭者,是知之盛也。雖然,有患。夫知有所待而後当,其所待者特未定也。庸詎知吾所謂天之非人乎?所謂人之非天乎?且有真人,而後有真知。
書き下し
天の為す所を知り、人の為す所を知る者は、至れり。天の為す所を知る者は、天にして生ずるなり。人の為す所を知る者は、其の知の知る所を以て、以て其の知の知らざる所を養い、其の天年を終えて中道に夭(よう)せざる者は、是れ知の盛んなるなり。然りと雖も、患い有り。夫れ知は待つ所有りて而る後に当たる。其の待つ所の者は特(た)だ未だ定まらざるなり。庸詎(なん)ぞ吾が所謂天の人に非ざるを知らんや。所謂人の天に非ざるを知らんや。且つ真人有りて、而る後に真知有り。
現代語訳
天のなすことを知り、人のなすことを知る者は、究極に達している。天のなすことを知る者は、天に従って生きている。人のなすことを知る者は、自分の知が及ぶ範囲のものによって、知が及ばない範囲のものを養い育て、天寿を全うして途中で若死にしない。これこそ知の充実というものだ。とはいえ、ここに問題がある。そもそも知は、何か拠りどころがあって初めて正しいと言える。ところがその拠りどころ自体が、定まっていないのだ。私が「天のしわざ」と呼んでいるものが、実は人のしわざでないと、どうして分かるだろうか。私が「人のしわざ」と呼んでいるものが、実は天のしわざでないと、どうして分かるだろうか。真の人があって初めて、真の知があるのだ。
解説
大宗師篇の総論であり、「真人ありて而る後に真知あり」という結論に向かう一段です。前半で、天のなすことと人のなすことを見分けられれば究極だと語ります。しかし荘子はすぐに自分でひっくり返す。知には拠りどころが必要だが、その拠りどころ自体が定まっていない、と。つまり、何が天で何が人かを判定する基準そのものが不確かなのです。だからこそ、正しい知識を積み上げれば真理に届く、とはならない。真の知は、真の人であることから生まれる。順序が逆なのです。これは知識偏重の現代への強烈な批判です。どれだけ情報を集めても、集める人自身が定まっていなければ、判断は歪みます。何を知っているかより、誰が知っているか。人物が先なのです。