荘子 / 養生主
澤雉十步一啄,百步一飲,不蘄畜乎樊中。神雖王,不善也。
新字:沢雉十歩一啄,百歩一飲,不蘄畜乎樊中。神雖王,不善也。
書き下し
沢雉(たくち)は十歩にして一啄(いったく)し、百歩にして一飲す。樊(おり)の中に畜(やしな)わるるを蘄(もと)めず。神(しん)は王(さか)んなりと雖も、善からざるなり。
現代語訳
沼地の雉は、十歩ごとにようやく一口ついばみ、百歩ごとにようやく一口水を飲む。それでも、鳥かごの中で飼われることを望みはしない。かごの中なら気力は満ち足りるかもしれないが、それは善いことではないのだ。
解説
たった一文で自由の本質を言い切った、鋭い一段です。野の雉は、餌を得るのに十歩も百歩も歩かねばなりません。かごの中に入れば、餌も水も与えられ、体は満たされるでしょう。それでも雉はかごを望まない。安定と引き換えに自由を差し出すことを、荘子は「善からず」と切り捨てます。ここで重要なのは、荘子が「かごの中でも気力は満ちる」と認めている点です。安定は本当に快適なのです。だからこそ危うい。組織に守られ、決められた餌を食べ続けるうちに、自分で餌を探す力は失われていきます。社員が自律的に動く組織をつくるとは、餌を配ることではなく、自分で探せる場を残すことなのかもしれません。
この章句が説くこと
沢雉不蘄畜乎樊中自由と安定自律を奪う優しさ野性
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