荘子 / 養生主
公文軒見右師而驚曰:「是何人也?惡乎介也?天與,其人與?」曰:「天也,非人也。天之生是使獨也,人之貌有與也。以是知其天也,非人也。」
新字:公文軒見右師而驚曰:「是何人也?悪乎介也?天与,其人与?」曰:「天也,非人也。天之生是使独也,人之貌有与也。以是知其天也,非人也。」
書き下し
公文軒(こうぶんけん)右師(ゆうし)を見て驚きて曰く、「是れ何人ぞや。悪(いず)くんぞ介(かた)あしなるや。天か、其れ人か」と。曰く、「天なり、人に非ざるなり。天の是を生じて独(ひとりあし)ならしむ。人の貌(かたち)は与(あた)うる有り。是を以て其の天にして人に非ざるを知るなり」と。
現代語訳
公文軒が右師を見て驚いて言った。「これはいったい何者だ。どうして片足なのか。生まれつきなのか、それとも人の刑によるものなのか」と。そして自ら答えた。「これは天のなせるわざであり、人のせいではない。天がこの人を生んだとき、片足であるようにしたのだ。人の姿かたちは天から与えられたものである。だからこれは天のなせるわざであって、人のせいではないと分かるのだ」と。
解説
短いながら、受け容れることの意味を問う一段です。片足の右師を見て、公文軒は驚きますが、すぐに「これは天のなせるわざだ」と受け止めます。刑罰による欠損だったとしても、それを天が与えた姿と見る。ここには、自分の境遇を嘆かず、そのまま引き受ける態度があります。私たちは、自分に足りないものを数えては嘆きがちです。しかし、与えられた条件を呪っている間は、その条件の中でできることに手がつきません。荘子は諦めろと言っているのではなく、まず現実をそのまま受け取れと言っています。受け取ってしまえば、そこから動き出せる。自分の欠けている部分を、まず「これが自分の形だ」と認めるところから、養生は始まります。
この章句が説くこと
天与の姿境遇の受容嘆きから行動へあるがまま
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