荘子 / 斉物論
天下莫大於秋豪之末,而大山為小;莫壽乎殤子,而彭祖為夭。天地與我並生,而萬物與我為一。既已為一矣,且得有言乎?既已謂之一矣,且得無言乎?一與言為二,二與一為三。自此以往,巧歷不能得,而況其凡乎!故自無適有,以至於三,而況自有適有乎!無適焉,因是已。
新字:天下莫大於秋豪之末,而大山為小;莫寿乎殤子,而彭祖為夭。天地与我並生,而万物与我為一。既已為一矣,且得有言乎?既已謂之一矣,且得無言乎?一与言為二,二与一為三。自此以往,巧歴不能得,而況其凡乎!故自無適有,以至於三,而況自有適有乎!無適焉,因是已。
書き下し
天下に秋豪(しゅうごう)の末より大なるは莫くして、大山を小と為す。殤子(しょうし)より寿なるは莫くして、彭祖を夭(よう)と為す。天地は我と並び生じて、万物は我と一と為る。既已(すで)に一と為れば、且た言有るを得んや。既已に之を一と謂えば、且た言無きを得んや。一と言とを二と為し、二と一とを三と為す。此より以往(いおう)、巧歴(こうれき)も得る能わず。而るを況(いわ)んや其の凡(ぼん)をや。故に無より有に適(ゆ)くも、以て三に至る。而るを況んや有より有に適くをや。適(ゆ)くこと無かれ。是に因るのみ。
現代語訳
天下に、秋の獣毛の先端より大きなものはなく、泰山のような大山さえ小さい。生まれてすぐ死んだ子より長生きな者はなく、七百年生きた彭祖さえ早死にである。天地は私とともに生まれ、万物は私と一つである。すでに一つであるならば、なお言葉を発する余地があるだろうか。しかし、すでに「一つだ」と言ってしまった以上、言葉がないとも言えまい。「一」と「一と言った言葉」とで二になり、その二とさらに一とで三になる。ここから先は、どんなに計算の得意な者でも数え切れない。まして凡人にできようか。だから、無から有へ進んだだけでも三にまで増えてしまう。まして有から有へ進んでいったら、いったいどうなるのか。もう進むのはやめよう。ただ、あるがままに従うだけだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荘子・斉物論今且(か)つ此に言有り。知らず、其れ是と類を為すか、其れ是と類を為さざるか。類と不類と、相与(あいとも)に類を為さば、則ち彼と以て異なる無し。然りと雖も、請う嘗(こころ)みに之を言わん。始め有る者有り、未だ始めより始め有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有らざる者有り。有有る者有り、無有る者有り、未だ始めより無有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより無有らざる者有らざる者有り。俄(にわ)かにして有無あり。而も未だ有無の果たして孰(いず)れか有にして孰れか無なるかを知らざるなり。今我は則ち已に謂う有り。而も未だ吾の謂う所の、其れ果たして謂う有るか、其れ果たして謂う無きかを知らざるなり。
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荘子・至楽天下の是非は果たして未だ定むべからざるなり。然りと雖も、無為は以て是非を定むべし。至楽は身を活かす。唯だ無為のみ幾(ちか)く存す。請う、嘗みに之を言わん。天は無為にして以て之れ清く、地は無為にして以て之れ寧(やす)し。故に両つながら無為にして相合し、万物皆な化す。芒乎(ぼうこ)芴乎(こつこ)として、従(よ)りて出づる無し。芴乎芒乎として、有象(ゆうしょう)無し。万物職職(しょくしょく)として、皆な無為より殖(ふ)ゆ。故に曰く、「天地は無為なり、而も為さざる無し」と。人や、孰(たれ)か能く無為を得んや。
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荘子・秋水河伯曰く、「然らば則ち吾天地を大とし毫末(ごうまつ)を小とするは可ならんか」と。北海の若曰く、「否。夫れ物は、量に窮まり無く、時に止まり無く、分に常無く、終始に故(もと)無し。是の故に大知は遠近を観る。故に小なるも寡(すく)なしとせず、大なるも多しとせず。量の窮まり無きを知ればなり。今故(こんこ)を証曏(しょうきょう)す。故に遥かなるも悶えず、掇(ちか)きも跂(つまだ)てず。時の止まり無きを知ればなり。盈虚(えいきょ)を察す。故に得るも喜ばず、失うも憂えず。分の常無きを知ればなり。坦塗(たんと)に明らかなり。故に生も説(よろこ)ばず、死も禍とせず。終始の故とすべからざるを知ればなり。人の知る所を計るに、其の知らざる所に若かず。其の生の時は、未だ生ぜざるの時に若かず。其の至小を以て、其の至大の域を窮めんことを求む。是の故に迷乱して自得する能わざるなり。此に由りて之を観れば、又た何を以て毫末の以て至細の倪(きわみ)を定むるに足るを知らんや。又た何を以て天地の以て至大の域を窮むるに足るを知らんや」と。
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荘子・斉物論指を以て指の指に非ざるを喩(さと)すは、指に非ざるを以て指の指に非ざるを喩すに若かず。馬を以て馬の馬に非ざるを喩すは、馬に非ざるを以て馬の馬に非ざるを喩すに若かず。天地も一指なり、万物も一馬なり。可なれば可とし、不可なれば不可とす。道は之を行きて成り、物は之を謂いて然り。悪(いず)くにか然る。然るに然り。悪くにか然らざる。然らざるに然らず。物固(もと)より然る所有り、物固より可なる所有り。物として然らざる無く、物として可ならざる無し。故に是が為に莛(てい)と楹(えい)、厲(らい)と西施(せいし)、恢恑憰怪(かいきけっかい)を挙ぐるも、道は通じて一と為す。其の分かるるや、成るなり。其の成るや、毀(やぶ)るるなり。凡そ物に成と毀と無く、復(ま)た通じて一と為る。唯だ達者のみ通じて一たるを知る。是が為に用いずして諸(これ)を庸(よう)に寓(よ)す。庸なる者は用なり。用なる者は通なり。通なる者は得なり。適(まさ)に得て幾(ちか)し。是に因るのみ。已(すで)にして其の然るを知らざる、之を道と謂う。神明を労して一と為して、而も其の同じきを知らざる、之を朝三(ちょうさん)と謂う。何をか朝三と謂う。曰く、狙公(そこう)芧(じょ)を賦(わか)ちて曰く、「朝に三にして暮に四」と。衆狙(しゅうそ)皆怒る。曰く、「然らば則ち朝に四にして暮に三」と。衆狙皆悦ぶ。名実未だ虧(か)けざるに、而も喜怒用を為す。亦た是に因るなり。是を以て聖人は之を和するに是非を以てして、天鈞(てんきん)に休(いこ)う。是を之れ両行(りょうこう)と謂う。
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荘子・則陽少知曰く、「然らば則ち之を道と謂わば、足れるか」と。大公調曰く、「然らず。今、物の数を計るに、万に止まらず。而も期して『万物』と曰う者は、数の多き者を以て号して之を読むなり。是の故に天地なる者は、形の大なる者なり。陰陽なる者は、気の大なる者なり。道なる者は之が公為(た)り。其の大なるに因りて号して以て之を読むは、則ち可なり。已に之れ有らんか、乃ち将に比を得んや。則ち斯を以て辯ぜば、譬うれば猶お狗馬のごとし。其の及ばざること遠し」と。
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荘子・天下芴漠(こつばく)無形、変化無常。死か生か、天地並ぶか、神明往くか。芒乎(ぼうこ)として何くにか之く。忽乎(こつこ)として何くにか適く。万物は畢(ことごと)く羅(つら)なるも、以て帰するに足る莫し。古の道術に是に在る者有り。荘周、其の風を聞きて之を悦ぶ。謬悠(びゅうゆう)の説、荒唐の言、無端崖(むたんがい)の辞を以てし、時に恣縦(しじゅう)にして儻(とう)ならず、觭見(きけん)を以て之をせず。天下を以て沈濁と為し、与に荘語すべからず。卮言(しげん)を以て曼衍(まんえん)と為し、重言を以て真と為し、寓言を以て広しと為す。独り天地の精神と往来して、万物に敖倪(ごうげい)せず。是非を譴(せ)めず、以て世俗と処る。其の書は瑰瑋(かいい)なりと雖も、連犿(れんはん)として傷つくる無し。其の辞は参差(しんし)なりと雖も、諔詭(しゅくき)にして観るべし。彼は其れ充実して以て已(や)むべからず。上は造物者と遊びて、下は死生を外にし終始無き者と友と為す。其の本に於けるや、宏大にして辟(ひら)け、深閎(しんこう)にして肆(し)なり。其の宗に於けるや、稠適(ちょうてき)にして上遂すと謂うべし。然りと雖も、其の化に応じて物を解するや、其の理は竭(つ)きず、其の来たるは蛻(ぬ)けず。芒乎昧乎(ぼうこまいこ)、未だ之を尽くさざる者なり。
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