師導古典を学びたいすべての人に

荘子 / 斉物論

今且有言於此,不知其與是類乎?其與是不類乎?類與不類,相與為類,則與彼無以異矣。雖然,請嘗言之。有始也者,有未始有始也者,有未始有夫未始有始也者。有有也者,有無也者,有未始有無也者,有未始有夫未始有無也者。俄而有無矣,而未知有無之果孰有孰無也。今我則已有謂矣,而未知吾所謂之其果有謂乎,其果無謂乎?

新字:今且有言於此,不知其与是類乎?其与是不類乎?類与不類,相与為類,則与彼無以異矣。雖然,請嘗言之。有始也者,有未始有始也者,有未始有夫未始有始也者。有有也者,有無也者,有未始有無也者,有未始有夫未始有無也者。俄而有無矣,而未知有無之果孰有孰無也。今我則已有謂矣,而未知吾所謂之其果有謂乎,其果無謂乎?

書き下し

今且(か)つ此に言有り。知らず、其れ是と類を為すか、其れ是と類を為さざるか。類と不類と、相与(あいとも)に類を為さば、則ち彼と以て異なる無し。然りと雖も、請う嘗(こころ)みに之を言わん。始め有る者有り、未だ始めより始め有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有らざる者有り。有有る者有り、無有る者有り、未だ始めより無有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより無有らざる者有らざる者有り。俄(にわ)かにして有無あり。而も未だ有無の果たして孰(いず)れか有にして孰れか無なるかを知らざるなり。今我は則ち已に謂う有り。而も未だ吾の謂う所の、其れ果たして謂う有るか、其れ果たして謂う無きかを知らざるなり。

現代語訳

さて今、ここにひとつの言葉がある。その言葉が、先ほどの話と同類なのか、同類でないのか、それは分からない。同類であることと同類でないことが、結局は同じ一つの類にまとめられてしまうのなら、それはもう区別できないのと変わらない。とはいえ、ためしに言ってみよう。「始まり」というものがある。その「始まり」がまだ始まっていない状態がある。さらに、その「始まりがまだ始まっていない状態」すら、まだ始まっていない状態がある。「有る」というものがある。「無い」というものがある。その「無い」がまだ始まっていない状態がある。さらに、その「無いがまだ始まっていない状態」すら、まだ始まっていない状態がある。そうこうするうちに、たちまち有と無が現れる。しかし、有と無のうち、いったいどちらが本当に有で、どちらが本当に無なのかは分からない。今こうして私は何かを言ったわけだが、その私の言ったことが、はたして何かを言ったことになるのか、それとも何も言っていないことになるのか、それすら分からないのだ。

解説

言葉と論理の限界を、めまいがするような入れ子構造で示した一段です。始まりの前の始まり、その前の始まり。有と無、その前の状態、さらにその前。どこまで遡っても底が抜けていきます。そして最後に、自分が今言ったことすら、何かを言ったことになるのか分からないと締める。荘子は自分の言葉さえ疑ってみせるのです。ここには、言葉で世界を捉えきろうとすることへの徹底した懐疑があります。言語は便利な道具ですが、それで切り取れるのは世界の一部にすぎません。会議で言葉を尽くしても伝わらないことがあるのは、当然なのです。言葉の限界を知った上で言葉を使う人と、言葉を万能だと信じている人とでは、話の深さがまるで違います。

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ