荘子 / 斉物論
非彼無我,非我無所取。是亦近矣,而不知其所為使。若有真宰,而特不得其眹。可行已信,而不見其形,有情而無形。百骸、九竅、六藏,賅而存焉,吾誰與為親?汝皆說之乎?其有私焉?如是皆有,為臣妾乎,其臣妾不足以相治乎。其遞相為君臣乎,其有真君存焉。如求得其情與不得,無益損乎其真。一受其成形,不亡以待盡。與物相刃相靡,其行盡如馳,而莫之能止,不亦悲乎!終身役役而不見其成功,苶然疲役而不知其所歸,可不哀邪!人謂之不死,奚益?其形化,其心與之然,可不謂大哀乎?人之生也,固若是芒乎!其我獨芒,而人亦有不芒者乎!
新字:非彼無我,非我無所取。是亦近矣,而不知其所為使。若有真宰,而特不得其眹。可行已信,而不見其形,有情而無形。百骸、九竅、六蔵,賅而存焉,吾誰与為親?汝皆説之乎?其有私焉?如是皆有,為臣妾乎,其臣妾不足以相治乎。其逓相為君臣乎,其有真君存焉。如求得其情与不得,無益損乎其真。一受其成形,不亡以待尽。与物相刃相靡,其行尽如馳,而莫之能止,不亦悲乎!終身役役而不見其成功,苶然疲役而不知其所帰,可不哀邪!人謂之不死,奚益?其形化,其心与之然,可不謂大哀乎?人之生也,固若是芒乎!其我独芒,而人亦有不芒者乎!
書き下し
彼(かれ)に非ざれば我無く、我に非ざれば取る所無し。是も亦た近し。而も其の使(し)を為す所を知らず。真宰(しんさい)有るが若(ごと)きも、特(た)だ其の眹(きざし)を得ず。行うべきこと已(すで)に信なるも、而も其の形を見ず。情有りて形無し。百骸(ひゃくがい)、九竅(きゅうきょう)、六蔵(ろくぞう)、賅(そな)わりて存す。吾誰と与(とも)にか親を為さん。汝皆之を説(よろこ)ぶか。其れ私(わたくし)有るか。是(かく)の如くんば皆有らんも、臣妾(しんしょう)為(た)らんか。其れ臣妾は以て相治むるに足らざるか。其れ逓(たがい)に相い君臣と為らんか。其れ真君(しんくん)の存する有らんか。如(も)し其の情を求め得ると得ざるとも、其の真に益損無し。一たび其の成形を受くれば、亡(うしな)わずして以て尽くるを待つ。物と相刃(あいじん)し相靡(あいび)す。其の行くこと尽(ことごと)く馳(は)するが如くにして、之を能く止むる莫し。亦た悲しからずや。身を終うるまで役役(えきえき)として而も其の成功を見ず。苶然(でつぜん)として疲役(ひえき)して而も其の帰する所を知らず。哀しからざるべけんや。人之を死せずと謂うも、奚(なん)ぞ益あらん。其の形化して、其の心之と然(しか)り。大哀と謂わざるべけんや。人の生や、固に是(かく)の若く芒(くら)きか。其れ我のみ独り芒くして、人にも亦た芒からざる者有るか。
現代語訳
外の対象がなければ自分という意識は生まれず、自分がなければ対象を受け取ることもない。この理解はかなり真実に近い。しかし、それを働かせている当のものが何なのかは分からない。何か真の主宰者がいるようでもあるが、その兆しをつかむことはできない。その働きは確かに信じるに足るのに、その姿は見えない。実質はあるのに、形がない。百の骨、九つの穴、六つの内臓、それらがすべて揃って自分の体にある。私はそのどれと親しめばよいのか。お前はそのすべてを等しく愛するのか。それとも、どれかをひいきするのか。もしすべてが揃っているなら、それらはみな召使いなのか。召使いだけでは互いを治めることはできまい。それとも交代で主君と家来になるのか。それとも、どこかに真の主君がいるのか。その正体を突き止められようと、できまいと、その真実そのものには何の増減もない。ひとたび形を与えられて生まれた以上、それを失わないようにしながら、終わりを待つばかりだ。外の物と刃を交え、擦り減らし合う。その進みようは馬が駆けるように速く、誰にも止められない。なんと悲しいことではないか。生涯あくせくと働きながら、成し遂げたものを見ることもなく、へとへとに疲れ果てて、どこへ帰るのかも分からない。哀しくないと言えるだろうか。人が「まだ死んでいない」と言ったところで、それが何になるのか。体が変わり果てれば、心もそれとともに朽ちる。これを最大の哀しみと言わずして何と言おう。人の一生とは、もともとこれほど暗いものなのか。それとも、私だけが暗くて、他の人には暗くない者もいるのだろうか。
解説
この章句が説くこと
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荘子・斉物論大知は閑閑(かんかん)、小知は間間(かんかん)。大言は炎炎(えんえん)、小言は詹詹(せんせん)。其の寐(い)ぬるや魂交わり、其の覚むるや形開く。接する与(もの)と構(こう)を為し、日び心を以て闘う。縵(まん)なる者、窖(こう)なる者、密なる者。小恐は惴惴(すいすい)たり、大恐は縵縵(まんまん)たり。其の発すること機栝(きかつ)の若きは、其の是非を司るを之れ謂うなり。其の留まること詛盟(そめい)の如きは、其の勝ちを守るを之れ謂うなり。其の殺(そ)ぐこと秋冬の如きは、以て其の日び消ゆるを言うなり。其の之を為す所に溺るるは、之をして復(かえ)らしむべからざるなり。其の厭(お)すや緘(かん)するが如きは、以て其の老洫(ろういつ)を言うなり。死に近づくの心、復た陽ならしむる莫し。喜怒哀楽、慮嘆変慹(りょたんへんしゅう)、姚佚啓態(ようきつけいたい)。楽は虚より出で、蒸(じょう)は菌を成す。日夜相代(あいかわ)るがわる前に乎(お)こるも、而も其の萌(きざ)す所を知る莫し。已(や)まんかな已まんかな。旦暮(たんぼ)に此を得るは、其れ由りて以て生ずる所か。
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荘子・斉物論今且(か)つ此に言有り。知らず、其れ是と類を為すか、其れ是と類を為さざるか。類と不類と、相与(あいとも)に類を為さば、則ち彼と以て異なる無し。然りと雖も、請う嘗(こころ)みに之を言わん。始め有る者有り、未だ始めより始め有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有らざる者有り。有有る者有り、無有る者有り、未だ始めより無有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより無有らざる者有らざる者有り。俄(にわ)かにして有無あり。而も未だ有無の果たして孰(いず)れか有にして孰れか無なるかを知らざるなり。今我は則ち已に謂う有り。而も未だ吾の謂う所の、其れ果たして謂う有るか、其れ果たして謂う無きかを知らざるなり。
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荘子・田子方仲尼曰く、「悪(ああ)、察せざるべけんや。夫れ哀は心の死するより大なるは莫く、而して人の死は亦た之に次ぐ。日は東方に出でて西極に入る。万物は方(ほう)を比(なら)べざる莫し。目有り趾(あし)有る者は、是を待ちて而る後に功を成し、昼を待ちて作(な)す。是れ出づれば則ち存し、是れ入れば則ち亡ず。万物も亦た然り。待つ有りて死し、待つ有りて生ず。吾一たび其の成形を受け、而して化せずして以て尽くるを待つ。物に效(なら)いて動き、日夜隙(すきま)無し。而も其の終わる所を知らず。薫然(くんぜん)として其れ形を成す。命を知るも其の前を規(はか)ること能わず。丘は是を以て日に徂(ゆ)く。吾終身汝と一臂(いっぴ)を交えて之を失う。哀しからざるべけんや。女(なんじ)は殆(ほとん)ど吾の著(あら)わす所以を著わさんとす。彼は已に尽きたり。而るに女は之を求めて以て有りと為す。是れ馬を唐肆(とうし)に求むるなり。吾の女に服するや甚だ忘る。女の吾に服するや亦た甚だ忘る。然りと雖も、女奚(なん)ぞ焉(これ)を患えんや。故(もと)の吾を忘ると雖も、吾に忘れざる者存する有り」と。
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荘子・徐無鬼南伯子綦(なんぱくしき)几に隠りて坐し、天を仰ぎて嘘(きょ)す。顔成子入り見て曰く、「夫子は、物の尤(ゆう)なる者なり。形は固より槁骸(こうがい)の若くならしむべく、心は固より死灰の若くならしむべきか」と。曰く、「吾嘗て山穴の中に居れり。是の時に当たるや、田禾(でんか)一たび我を覩(み)て、斉国の衆三たび之を賀す。我必ず之に先んじ、彼故に之を知る。我必ず之を売り、彼故に之を鬻(ひさ)ぐ。若し我にして之を有せずんば、彼悪くんぞ得て之を知らん。若し我にして之を売らずんば、彼悪くんぞ得て之を鬻がん。嗟乎(ああ)、我は人の自ら喪う者を悲しむ。吾又た夫の人を悲しむ者を悲しむ。吾又た夫の人を悲しむの悲しみを悲しむ。其の後にして日に遠ざかれり」と。
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荘子・斉物論天下に秋豪(しゅうごう)の末より大なるは莫くして、大山を小と為す。殤子(しょうし)より寿なるは莫くして、彭祖を夭(よう)と為す。天地は我と並び生じて、万物は我と一と為る。既已(すで)に一と為れば、且た言有るを得んや。既已に之を一と謂えば、且た言無きを得んや。一と言とを二と為し、二と一とを三と為す。此より以往(いおう)、巧歴(こうれき)も得る能わず。而るを況(いわ)んや其の凡(ぼん)をや。故に無より有に適(ゆ)くも、以て三に至る。而るを況んや有より有に適くをや。適(ゆ)くこと無かれ。是に因るのみ。
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荘子・斉物論瞿鵲子(くじゃくし)長梧子(ちょうごし)に問いて曰く、「吾諸(これ)を夫子に聞く。聖人は務めに従事せず、利に就かず、害を違(さ)けず、求むるを喜ばず、道に縁(よ)らず。謂う无(な)くして謂う有り、謂う有りて謂う无し。而して塵垢(じんこう)の外に遊ぶ、と。夫子は以て孟浪(もうろう)の言と為すも、而も我は以て妙道の行と為すなり。吾子は以て奚若(いかん)と為す」と。長梧子曰く、「是れ黄帝の聴きて熒(まど)う所なり。而るに丘(きゅう)や何ぞ以て之を知るに足らんや。且つ女も亦た大いに早計なり。卵を見て時夜(じや)を求め、弾を見て鴞炙(きょうしゃ)を求む。予(われ)嘗みに女の為に之を妄言せん。女も之を妄聴せよ。奚(いかん)。日月に旁(そ)い、宇宙を挟(さしはさ)み、其の脗合(ふんごう)を為し、其の滑涽(こつこん)を置き、隷(れい)を以て相尊ぶ。衆人は役役たり、聖人は愚芚(ぐとん)たり。万歳に参(まじ)わりて一の成純(せいじゅん)たり。万物は尽く然り。而して是を以て相蘊(つつ)む。予悪くんぞ生を説(よろこ)ぶの惑いに非ざるを知らんや。予悪くんぞ死を悪(にく)むの弱くして喪(うしな)われて帰るを知らざる者に非ざるを知らんや。麗(り)の姫は、艾(がい)の封人(ほうじん)の子なり。晋国の始めて之を得るや、涕泣(ているい)して襟を沾(うるお)す。其の王の所に至り、王と筐床(きょうしょう)を同じくし、芻豢を食らうに及びて、而る後に其の泣きしを悔ゆ。予悪くんぞ夫の死者の其の始めの生を蘄(もと)めしを悔いざるを知らんや。夢に酒を飲む者は、旦(あした)にして哭泣(こっきゅう)す。夢に哭泣する者は、旦にして田猟(でんりょう)す。其の夢みる方(とき)や、其の夢なるを知らざるなり。夢の中に又た其の夢を占う。覚めて而る後に其の夢なるを知る。且つ大覚有りて而る後に此れ其の大夢なるを知る。而るに愚者は自ら以て覚むと為し、竊竊然(せつせつぜん)として之を知る。君か、牧か、固(かたく)なるかな。丘や、女と皆な夢なり。予の女を夢と謂うも、亦た夢なり。是の其の言や、其の名を弔詭(ちょうき)と為す。万世の後にして、一たび大聖の其の解を知る者に遇わば、是れ旦暮に之に遇うなり。既に我と若(なんじ)と辯ぜしむるに、若我に勝ち、我若に勝たずんば、若果たして是にして、我果たして非なるか。我若に勝ち、若我に勝たずんば、我果たして是にして、而(なんじ)果たして非なるか。其れ或いは是にして、其れ或いは非なるか。其れ倶に是にして、其れ倶に非なるか。我と若と相知る能わざれば、則ち人は固より其の黮闇(たんあん)を受く。吾誰をして之を正さしめん。若に同じき者をして之を正さしむれば、既に若と同じ。悪くんぞ能く之を正さんや。我に同じき者をして之を正さしむれば、既に我に同じ。悪くんぞ能く之を正さんや。我と若とに異なる者をして之を正さしむれば、既に我と若とに異なる。悪くんぞ能く之を正さんや。我と若とに同じき者をして之を正さしむれば、既に我と若とに同じ。悪くんぞ能く之を正さんや。然らば則ち我と若と人と倶に相知る能わざるなり。而して彼を待たんや。何をか之を和するに天倪(てんげい)を以てすと謂う。曰く、是も是ならず、然も然らず。是若し果たして是ならば、則ち是の是ならざるに異なるや亦た辯無し。然若し果たして然らば、則ち然の然らざるに異なるや亦た辯無し。化声(かせい)の相待つは、其の相待たざるが若し。之を和するに天倪を以てし、之に因るに曼衍(まんえん)を以てす。年を窮むる所以なり。年を忘れ義を忘れ、無竟(むきょう)に振(あそ)ぶ。故に諸を無竟に寓す」と。
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